宇都宮市
一里塚は、平安時代末期に、奥州藤原氏が旅人の目印として白川の関から陸奥湾までの道のりに1里(約4km)ごとに里程標を立てたのが起源といわれていて、江戸時代に江戸日本橋を起点に街道沿いに設置をして全国へと広がったそうです。。。街道の左右に一対あるのが本来の姿だそうですが、道路拡幅や宅地化などによりその大半が失われてしまっていて、現存していても片側のみが残っているものがほとんどです。。。那須塩原市地内の国道4号線『西富山付近』と県道30号線(主要地方道・矢板那須線横断道路)『折戸付近』を結ぶ県道259号線(折戸西那須野線)は、会津若松から氏家を結ぶ『会津中街道』の一部だったという説があり、ここに残る一里塚は、昔からの左右に一対の一里塚が現存しています(^o^)v。。。こちらの塚廻りは、あまり人が手をいれた整備がされていないので、昔ながらの風情が残っていて『とちぎのふるさと田園風景百選』の認定地にもなっていす(^^)d。。。駐車場や説明文の看板も有るので、こちら方面へ起こしの際は、休憩がてら是非とも足を延ばしてみてください。一見の価値は有りますよ(*^^*)。。。なお、この県道259号線沿いには、県道30号線方面に一里いった場所にも、もうひとつ一対の塚が残る【会津中街道一里塚】も有りますよ(*^^*)。。。