小山市
芭蕉と曾良のブロンズ像が建っていて道中の旅の様子が窺えました。館内では芭蕉のコーナーは撮影禁止です。芭蕉が巡った「おくのほそみち」のソレゾレの場所の写真と句が壁に掲示されておりました。黒羽は全行程で最長の14日間滞在した場所なので梅雨どきだったからとか人々に愛着があったからとか言われております。なので句を含め滞在した様子が詳細に記されておりました。人々と接する機会が多く芭蕉も俳句の手ほどきなどをしたようですから以降俳句が盛んな土地になったんでしょうね。子供から大人まで全国大会に出場するようなレベルの高い俳句が壁に貼られておりました。俳句の投句箱もあります。私も頭を捻って考えたのですがコレと言って浮かびませんでした。限られた字数の中で人に想像させるような風流な句を詠むのは修行が必要ですね。黒羽の人達はアッパレです。戦国時代に黒羽城を本拠地にし明治の世になるまで黒羽藩主として続いた大関氏の常設展示を見ました。小さな藩でありながら歴代藩主は幕府の要職を輩出するなど安定した経営を続け1813年に藩校を設け子弟を教育したりと軍政改革に死力した藩です。何より驚いたのは1854年に設けられた学問所の名前が作新館で我が母校である作新学院の名前はココから取ったということです。文武両道の優れた人々を輩出したことが分かります。そして黒羽藩への親しみが湧きました。