小山市
ここら辺では万古穴と呼ばれ道路沿いに看板がありますがコノ時期は草深い畦道です。近所の人に他の道はありますかと伺うと少し遠回りだけど小志鳥城跡の看板から山に向う畦道に行った方が安心ですと言われソノ通りに歩いて向かいました。なるほど草が刈られていて歩きやすく看板から5分ぐらいで入口に到着しました。山の上に小志鳥城跡があり山裾の丘陵の斜面に40基以上あると言われる那須烏山市最大の小志鳥横穴墓群(那須烏山市文化財)が列をなしてありました。墓群には苔が繁茂していて周囲の自然と一体化している様相です。凝灰岩に造られた墓群は目線より高い所にもあり2階建てのアパートのようです。綺麗にえぐられている物、何人も収容出来る物、奥行きがある物など千差万別で見ていて興味深いです。またこの中の29号墓からは奈良時代の須恵器が出土しております。烏山市文化財となっていて県内では横穴墓群からの出土例が少なく貴重です。この場所は木々に覆われスグ下に川が流れているからか涼しく夏場にかかわらず蚊もおりませんでした。埋葬された人を想い凝灰岩があるだけでなく快適な環境であったことが決め手となりコレダケの数のお墓が造られたのかも知れないと感じました。