那須塩原市の遺跡・史跡
接骨木の一里塚のクチコミ
みんなの声でわかる、スポットの特長
- 一里塚5
- スギ2
- サクラ2
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サーフさんの口コミを拝読して訪れました。一里塚(那須塩原市文化財)のみで駐車場完備とは素晴らしいです。とちぎのふるさと田園風景百選の標柱も立っていて周囲は田畑が広がっておりました。一里塚は会津中街道の枝道ということですがハッキリしないということです。とは言っても間違って造ったわけではないでしょうから寄り道するにあたって何か重要な土地だったのかも知れません。スギが植えられている方は2ヵ所に階段が設けられております。塚は原型をとどめていない様子ですが当時の痕跡は感じられました。スギは道路側からは何ともなさそうですが後ろから眺めると落雷の後で広範囲裂けていて痛々しいです。それでも支えもなく通る人の目印としての役目を頑張ってきた偉い木であります。サクラが植えられている方は一里塚にしては小ぶりなサイズですが整った形状で塚上にサクラというのも珍しいです。現在のは江戸時代のものではありませんがモウ少ししたら綺麗な花々を咲かせ眺める人達も多かろうと思いました。 (訪問:2024/03/24)
掲載:2024/03/28"ぐッ"ときた! 23人 -
旧会津街道の脇道の一里塚だそうです。初めて知りましたが、一里塚って街道の両脇に一対有るのですね。大きな古木。雷が落ちて幹が裂けた跡が有りますが、それでも生き続けてます。色々な出来事が有りながらも成長する力強さを感じ、感慨深いです。 (訪問:2020/05/09)
掲載:2020/05/11"ぐッ"ときた! 25人 -
県内の難読地名の一つ、那須塩原市“接骨木(にわとこ)”地区にある一里塚です。一里(約4km)離れたところにある“横林の一里塚”と比べると塚の高さが低いですが、こちらには大きな杉の木があります。車2台分の駐車スペースが確保されているので、気軽に立ち寄ることができますよ。 (訪問:2016/10/14)
掲載:2016/10/17"ぐッ"ときた! 2人 -
一里塚は、平安時代末期に、奥州藤原氏が旅人の目印として白川の関から陸奥湾までの道のりに1里(約4km)ごとに里程標を立てたのが起源といわれていて、江戸時代に江戸日本橋を起点に街道沿いに設置をして全国へと広がったそうです。。。街道の左右に一対あるのが本来の姿だそうですが、道路拡幅や宅地化などによりその大半が失われてしまっていて、現存していても片側のみが残っているものがほとんどです。。。那須塩原市地内の国道4号線『西富山付近』と県道30号線(主要地方道・矢板那須線横断道路)『折戸付近』を結ぶ県道259号線(折戸西那須野線)は、会津若松から氏家を結ぶ『会津中街道』の一部だったという説があり、ここに残る一里塚は、昔からの左右に一対の一里塚が現存しています(^o^)v。。。こちらの塚廻りは、あまり人が手をいれた整備がされていないので、昔ながらの風情が残っていて『とちぎのふるさと田園風景百選』の認定地にもなっていす(^^)d。。。駐車場や説明文の看板も有るので、こちら方面へ起こしの際は、休憩がてら是非とも足を延ばしてみてください。一見の価値は有りますよ(*^^*)。。。なお、この県道259号線沿いには、県道30号線方面に一里いった場所にも、もうひとつ一対の塚が残る【会津中街道一里塚】も有りますよ(*^^*)。。。 (訪問:2013/03)
掲載:2013/10"ぐッ"ときた! 9人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。