那須町の歴史・資料館
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山田資料館のクチコミ
みんなの声でわかる、スポットの特長
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日本遺産認定の「明治貴族が描いた未来 ~那須野が原開拓浪漫譚~」において構成文化財の一つとなっております。武人、教育家、政治家、文化人と優れた能力を発揮した他に日本の近代法の成立に尽力した山田顕義伯爵(陸軍中将、岩倉米欧使節団理事官、工部・内務・司法の各大臣、日本大学・國學院大學創立者)が官有地であったこの地を1891年に借り下げ広大な農場の開拓を行ったことが始まりです。所有面積は実に約33万4千坪に及びます。顕義伯爵は1892年にお亡くなりになっておりますが志を継いだご息子の久雄さん→顕義伯爵の弟の繁栄さん→顕義伯爵の娘婿である英夫さん→英夫の長男である顕貞さんまでと農場経営のバトンを繋いでいくことになります。これらの歴代の農場主は小作人とフレンドリーな関係を築き信頼関係を構築してきました。そのため戦後の農地解放で小作人に譲渡されると人々が山田家4代の名前が刻まれた謝恩碑を建立し現在でも山田家を交えて祖霊祭を行いその遺徳を偲んでいます。資料館を顕義伯爵のお孫さんに案内して頂きました。ここでは多くの学生が勉強に励んでいたそうで世に名前が知られた方々も学んでいたのだろうと感じました。所狭しと関係資料が並んでおります。顕義伯爵が創立した日大には更に多くの資料があるとのことです。本棚には山田伯爵家文書などの本が陳列されておりました。日本の近代化に貢献し八面六臂の活躍をした人なのでエピソードも豊富にあっただろうし大河ドラマになってもおかしくない人物だと感じました。偉大な伯爵の祖父、会津藩主の松平容保公の三男で婿養子となり山田家を継いだ父の英夫さん、小城鍋島藩の母と歴史に名を轟く家系なので少し前までは何やかんやと付き合いが多かったとお孫さんが話してくれました。最近は減ったそうですが年に何回か呼ばれるそうで山田家の偉大な歴史を今に語り継いでくれている人だと思いました。 (訪問:2023/09/16)
掲載:2023/11/09"ぐッ"ときた! 27人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。