鹿沼市
神橋の近くの道路沿いに建っている銅像です。その位置的な要素から、日光観光へと足を運ばれた方々は一度は目にした事が有るとは思います。「あの銅像って誰なんだろう?」と関心を持たれた方も多いのではないでしょうか。なんで、この場所にこの銅像が立っているのか?それは、1616年(元和2年)75歳で徳川家康が亡くなられ、天海は、以前より残された徳川家康の遺言によって東照宮の造営を任されており、1636年(寛永13年)3月に現在の華麗なる社殿を造りあげたからなのです。この天海大僧正の功績により、この頃の日光山は20院80坊、数百人の僧侶と社家、奉仕人で賑わっていたと伝えられています。それほどの偉大な功績を日光に残した人物であったのです。この日の奥日光の厳冬期の積雪の有る山岳地帯の急峻な山道を走り、無事にこの日、奥日光の観光ドライブを終えたことを温かく見守ってくれているような、天海大僧正の御姿の銅像を一目拝見して、天海大僧正の像に対して「天海大僧正様、どうも有難うございました」と感謝の念を心の中で思いました。因みに、この天海僧正の人物像を描いた絵画は、栃木県立博物館で見る事が出来ます。