鹿沼市
この天海大僧正は、「明智光秀」だったという説も有ります。徳川家康に仕え、比叡山の文献のなかには、大僧正にまでなった「光秀」と言う名がはっきりと記されてあるそうです。 そして、光秀は、「天海」として徳川家光を色々と指導教育し、この像の「天海大僧正」が昔、日光で一番眺望のよい場所を「明智平」と命名したという説も有ります。あくまで歴史の中の一説ですが、確かに「明智平」と言う地名と「明智光秀」との関連性には、壮大な歴史のロマンを感じさせますね。この「天海大僧正」の生まれた年はっきりしていませんが、100歳以上の長寿であったとも言われています。