小山市
那須烏山市、さくら市に広がる国史跡です。見学者の駐車場である多目的広場が設けられていて案内板とパンフレットが入ったボックスがあります。一部頂いて→の標識通りに向いました。遺跡があったであろう中央付近の畔に標柱が立っております。現在は畑と田んぼで面影は感じられませんが発掘調査で奈良時代から平安時代前期にかけての東山道跡、タツ街道、政庁、正倉、大溝などが見つかった重要な場所です。失礼ながらコンナ山の中に大掛かりな官衙が造られたのは一帯が有数の穀倉地帯であったことも理由の一つかも知れないと思いました。それは平安時代後期の源義家一行の長者屋敷焼討伝説があるからです。伝説によると大勢の使用人を抱えたたいそうな長者様が住んでいて米や畑の作物を入れる蔵も沢山ありました。後に前九年の役とされる奥州の阿部頼時征伐に向った源頼義、義家一行が一晩の宿をとり盛大なもてなしをした他に義家の注文である家来千人分の食料と雨具も簡単に整えてしまったそうです。奥州征伐が終わり都へ帰る途中に再び宿をとった義家一行に前にも増して盛大にもてなし見送りました。その晩に屋敷やら何やら全てが炎に包まれ一晩のうちに灰になりました。長者の力に恐れを抱いた義家一行の仕業であろうとの話です。そういうことから歴史ロマンが感じられる場所です。
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