那須烏山市の遺跡・史跡・道・街道
【国指定史跡】古代国家の交通体系や地方支配体制を示す重要な史跡
8~10世紀の下野国芳賀郡衙(はがぐんが)の付属施設、または新田駅家(にいたのうまや)と推定される官衙遺跡、これと併存する東山道跡、更にそれに交差する古代の道路跡からなります。いずれもよく残り、構造や変遷が明らかとなっています。
有(多目的広場)
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長者ヶ平官衙遺跡 | 規模:南北約220m・東西350m以上 平成13年~17年の発掘調査により、政庁や正倉など大規模な建物群などが発見され、奈良時代から平安時代に営まれた古代の役所であることが判明 |
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東山道跡や連絡道路 | 遺跡に隣接して奈良・平安時代の道幅10m近い東山道跡や芳賀郡と塩屋郡(現在の塩谷郡)を結ぶ連絡道路も見つかっています。この古代の道路跡は現在も小道として良く残っています。 |
長者伝説 | この地域には、源義家が、奥州征伐を終えて都に帰る途中、強大な富と力を持つ長者の後患を恐れ、焼き滅ぼしたという「長者伝説」があり、付近には伝説にまつわる地名も数多く残されています。 |
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みんなの声でわかる、スポットの特長
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那須烏山市、さくら市に広がる国史跡です。見学者の駐車場である多目的広場が設けられていて案内板とパンフレットが入ったボックスがあります。一部頂いて→の標識通りに向いました。遺跡があったであろう中央付近の畔に標柱が立っております。現在は畑と田んぼで面影は感じられませんが発掘調査で奈良時代から平安時代前期にかけての東山道跡、タツ街道、政庁、正倉、大溝などが見つかった重要な場所です。失礼ながらコンナ山の中に大掛かりな官衙が造られたのは一帯が有数の穀倉地帯であったことも理由の一つかも知れないと思いました。それは平安時代後期の源義家一行の長者屋敷焼討伝説があるからです。伝説によると大勢の使用人を抱えたたいそうな長者様が住んでいて米や畑の作物を入れる蔵も沢山ありました。後に前九年の役とされる奥州の阿部頼時征伐に向った源頼義、義家一行が一晩の宿をとり盛大なもてなしをした他に義家の注文である家来千人分の食料と雨具も簡単に整えてしまったそうです。奥州征伐が終わり都へ帰る途中に再び宿をとった義家一行に前にも増して盛大にもてなし見送りました。その晩に屋敷やら何やら全てが炎に包まれ一晩のうちに灰になりました。長者の力に恐れを抱いた義家一行の仕業であろうとの話です。そういうことから歴史ロマンが感じられる場所です。 (訪問:2022/06/26)
掲載:2022/10/14"ぐッ"ときた! 32人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
基本情報
住所 | 那須烏山市鴻野山 地図を印刷 |
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交通 | 八溝グリーンライン沿いに「史跡長者ヶ平 これより500m」の案内板あり ※地図を参照ください |
TEL | 0287-88-6223 0287-88-6223 |
設備 | 駐車場 |
駐車場 | 有(多目的広場) |
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