小山市
新田義宗、脇屋義治の反乱軍の征伐に加わる初陣で二十歳の小山義政が戦勝祈願で神社へ家宝の矢ひと筋(先祖である藤原秀郷が平将門征伐に使用した矢)を奉納し合戦で大勝しました。神社が三毳の関から東にあたり秀郷の矢を納めたことが名前の由来と伝えられているそうです。境内には樹齢幾百年の神社のシンボルである大ケヤキ(小山市天然記念物)が左右に聳え立っております。本殿(小山市文化財)には磯部一族である後藤正秀の超一流の彫刻が施されており金網越しに見る事が出来ます。残念ながら片側の側面は板で塞がれており見る事は叶いませんが社務所の窓に写真と共に詳しく解説されているので興味のある方に関しては満足できる内容だと思いました。