小山市
現在は無住のお寺です。寺務所の壁に観音堂に祀られている「おはらごもり観音」の伝説が2話貼られております。平安時代末に小山氏を名乗った小山朝政が京都の名工に聖観音像を作らせ胎内に恩賜の小観音を納めたことからコノ名前がついております。小山氏の念持仏として城中の持仏堂に安置されます。七代目当主の小山秀朝の次男の政隆が分家した時に観音を譲られ小山城から石塚館へと移し祀りました。秀朝の孫である義政のときに鎌倉公方足利氏満に反抗し小山氏が滅ぼされた時に石塚館も攻撃を受け観音は御姿を消してしまいました。後に愛宕神社の堀の泥さらいをしていた仏じいさん(本名不明)により発見され愛宕神社の境内に御堂を建て祀られました。支族の結城氏から泰朝が入って再興した小山氏はソノ孫の持政が愛宕神社から現在の地に観音を移し1455年にお寺を建てたと伝えられております。行き届いた彩色豊かな御堂です。観音様が納められている厨子も豪華な佇まいでありました。平安時代作の1.15mの立像である観音様はさぞかし立派な物に違いないと感じました。