等覚院 - 小山市の神社・仏閣|栃ナビ!
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等覚院

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安産の御利益がある「お腹ごもり観世音」は33年に1度ご開帳されます

小山市上石塚本郷の集落にあり、境内には朱色の観音堂と薬師堂があります。安産のご利益があるといわれる「お腹ごもり観世音」は33年に1度ご開帳されます。次回は2043年です。

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高橋山観音寺等覚院 真言宗 持寳寺(小山市宮本町)の末寺で高橋山観音寺等覚院といい、開基・開山は不詳です。
観音像 藤原秀郷が平将門を破った功により、朱雀天皇より金製(閻浮檀金・えんぶだごん)の1寸8分の観音像を賜りました。
「お腹ごもり観世音」 後花園天皇の時、安阿和尚が3尺8寸の木造の腹中に観音像を納めたことから、「お腹ごもり観世音」といわれます。

※表示価格は更新時点の税込価格となっております。
[更新:2020年4月9日]

新着クチコミ

クチコミ:2
  • maffinman

    maffinmanさん

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    現在は無住のお寺です。寺務所の壁に観音堂に祀られている「おはらごもり観音」の伝説が2話貼られております。平安時代末に小山氏を名乗った小山朝政が京都の名工に聖観音像を作らせ胎内に恩賜の小観音を納めたことからコノ名前がついております。小山氏の念持仏として城中の持仏堂に安置されます。七代目当主の小山秀朝の次男の政隆が分家した時に観音を譲られ小山城から石塚館へと移し祀りました。秀朝の孫である義政のときに鎌倉公方足利氏満に反抗し小山氏が滅ぼされた時に石塚館も攻撃を受け観音は御姿を消してしまいました。後に愛宕神社の堀の泥さらいをしていた仏じいさん(本名不明)により発見され愛宕神社の境内に御堂を建て祀られました。支族の結城氏から泰朝が入って再興した小山氏はソノ孫の持政が愛宕神社から現在の地に観音を移し1455年にお寺を建てたと伝えられております。行き届いた彩色豊かな御堂です。観音様が納められている厨子も豪華な佇まいでありました。平安時代作の1.15mの立像である観音様はさぞかし立派な物に違いないと感じました。 (訪問:2023/06/25)

    掲載:2023/06/29
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  • maffinman

    maffinmanさん

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    おやま百景に選ばれている「腹ごもり観音」のある等覚院を訪れました。色とりどりの彫り物が彫られていて本堂の朱色が引き立てられていました。社務所の壁に「仏じいさん」「石塚の観音」と題した昔話のようなものが貼られていて等覚院に関わることと共に当時の時代背景が分かりやすく書かれています。 (訪問:2019/03/29)

    掲載:2020/04/12
    "ぐッ"ときた! 18

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