小山市
勝道上人のお父さんの墓です(下野市文化財)。伝えられるお話によると国府の役人をしていたお父さんと神主の娘であるお母さんという信仰深く優しい両親のもとで育った藤糸丸(勝道上人)は薬師寺に戒壇院が建てられると戒を受け名前を厳朝と改めました。勝道と名乗るのは後のことです。ある年お父さんが亡くなりました。勝道上人は薬師寺内に埋葬した場所にお父さんの名前にちなんだ白フジを植えました。ところが成長もせず枯れもしない白フジだったので勝道上人の徳が宿っていると言われました。江戸時代になって薬師寺村の人達がコノ地を忘れないように建てた石碑だというお話です。現在は白フジは見当たりません。江戸時代に建てた当時でも既に白フジに陰りがあったのではないかと思われます。お父さんも勝道上人も草場の陰から建ててくれた人々に感謝しているだろうと感じました。それにしても現在の下野薬師寺から300m以上離れているコノ場所も当時の下野薬師寺の敷地だったということが驚きです。