下野市の遺跡・史跡
日光開山の祖、勝道上人の父藤麿を埋葬したと伝えられる地に建てられた石碑
勝道上人は父藤麿が没すると、遺骨を上人修行の薬師寺の地に埋葬、白藤を植えて墓標としましたが、安政4(1857)年9月、薬師寺村役人や世話人が発起人となり、白藤ではいつかその地が不明になることを憂い、石碑を建立したと伝えられています。
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◇白藤にまつわる伝説 勝道上人が植えた白藤の木は、何十年たっても何百年たってもつるが伸びず、枯れるでも大きく育つでもありませんでした。そのため勝道上人の徳が宿っているのだろうといわれていました。 |
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勝道上人のお父さんの墓です(下野市文化財)。伝えられるお話によると国府の役人をしていたお父さんと神主の娘であるお母さんという信仰深く優しい両親のもとで育った藤糸丸(勝道上人)は薬師寺に戒壇院が建てられると戒を受け名前を厳朝と改めました。勝道と名乗るのは後のことです。ある年お父さんが亡くなりました。勝道上人は薬師寺内に埋葬した場所にお父さんの名前にちなんだ白フジを植えました。ところが成長もせず枯れもしない白フジだったので勝道上人の徳が宿っていると言われました。江戸時代になって薬師寺村の人達がコノ地を忘れないように建てた石碑だというお話です。現在は白フジは見当たりません。江戸時代に建てた当時でも既に白フジに陰りがあったのではないかと思われます。お父さんも勝道上人も草場の陰から建ててくれた人々に感謝しているだろうと感じました。それにしても現在の下野薬師寺から300m以上離れているコノ場所も当時の下野薬師寺の敷地だったということが驚きです。 (訪問:2023/07/02)
掲載:2023/07/05"ぐッ"ときた! 26人 -
下野市文化財の藤麿墳を訪れました。道路から入ってすぐのところにコジンマリとしたスペースに鎮座されています。中央に大きく藤麿墳と彫られていて力強さが感じられます。墓石はシャープで独特な形状をしています。唯一無二の印象を受けました。周りの植樹も良く手入れされていて灯りと共に墓石を引き立てていました。 (訪問:2019/05/04)
掲載:2019/06/27"ぐッ"ときた! 6人
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