小山市
県道41号線沿いの墓地に記念碑があります。それにまつわるお話があります。田野の名主の染谷長俊は不運が続き沢山あった財産もなくなり日々の暮らしにも困る有様でした。ある日のこと長俊が田んぼを耕していると借金の取り立て屋が来て金を返せないなら馬をもらうと田んぼの中で働く馬を無理矢理連れて行ってしまいました。そんなことがあったので長俊は家族を母親の実家に預け一人で江戸に出て長堤村の領主である松平定昌の屋敷に行って足軽として奉公しました。骨身を惜しまず働き五千石を取り締まる田野陣屋のお代官へと出世しました。長俊は江戸の千住から田野までの古くなった木で出来た橋を自分で寄付して三十数年かけて石の橋に架け替えました。相当な数を架け替えたそうで田野の人達は長俊の立派な行いを褒め称え記念碑を建てたというお話です。記念碑は墓地入口にあり一つかと思ったら二つありました。どちらも刻まれている文章は同じようです。代官まで立身出世した人がふんぞり返らず皆の為に尽くすことなど中々出来るものではありません。長俊の人を気配る心根がそうさせたのだろうと思いました。正に田野の英雄です。