小山市
ちびっこ広場にお墓はあり季節の花々が手向けられておりました。案内板にもありますが1683年の地震により男鹿川が氾濫し自然のダムをつくってしまったので決壊しては大惨事になると心配した会津藩は関所役人の高木六左衛門に水路を作るように命じました。多大な労力と費用をかけましたが工事で巨岩を取り除けず中止せざるを得なくなり責任を痛感した六左衛門は割腹自殺をして償ったと伝えられているそうです。コチラには六左衛門が掘った跡の地図も表示されていて大がかりな工事であったことが認識できました。現在は五十里ダムが出来たことで洪水の心配もなくなり草場の陰から六左衛門も現代の技術に驚いたと共に安心して眠っているのではないかと感じました。
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