妙哲尼高和尚が再興したお寺です。いちかいの民話に収められております。明治の初めのある夏のこと市塙村では雨が降らず年貢米どころか自分たちの喰う米にも困っておりました。村の人達は考えた結果に妙哲尼様に相談することにしました。妙哲尼様は御本尊様に向き合うと南無阿弥陀仏を静かに唱え始めました。そうしたと思ったら南無阿弥陀仏と書かれていた手を御本尊様の前にかざして静かに左右に手を動かし始めました。その祈りは一昼夜にわたり続きました。すると夜も白々と明けてきた頃に大粒の雨がザザッーと降り出したというお話です。次は安政二年の春のこと市塙村の名主に迎えられて名主の家に間借りしていた頃のお話です。妙哲尼様は贅沢を嫌い粗末な暮らしをしておりました。毎日仏の道を説いて回ったり村の人の探し物を一緒に探してあげたり天気を占ったりしておりました。それがまたよく当たると評判だったそうです。名主や村人達が妙哲尼様のお住みいただく御堂を建てたいと申し上げると今年は何か大きな事が起こりそうなので断りました。すると予言が的中して秋に安政の大地震が起きて市塙村でも大被害となりました。それから妙哲尼様が市塙に来て七年過ぎたころ立派な釈迦堂が造られたというお話です。二つのお話から常に人々に慕われ頼りにされていた和尚様だったということが分かりました。何方でも尊敬できる人物です。境内には墓塔の他に百回忌記念の石像もあり現在もこれからも愛され続ける和尚様です。