小山市
後三年の役で源義家に従って軍功を挙げた山本上総介家隆が1089年に築いた城(那須塩原市文化財)です。1533年28代山本伊勢守資宗のとき大田原城主大田原備前守資清に攻略され落城しました。県道沿いに案内板が設置されております。城跡は整備されていて三の丸跡から登城しました。杉林で草が繁茂していて踏みこめませんでしたが二の丸跡との間に土塁が築かれております。虎口から二の丸跡へと向かうとコチラも草が繁茂して踏み込めませんでしたが三の丸跡より広い敷地であることが実感できました。本丸跡へは堀切と虎口を通り辿り着くとグルリと土塁で囲まれていて二の丸跡より更にユッタリとしております。本丸跡には二條稲荷神社と宇津野神社が祀られておりました。本丸跡の脇を眺めると深い自然の堀が城の側面を守っております。天然の要害だと感じられる城跡です。