那須塩原市の城跡・城址
城跡の保存状態が良く、当時の城の規模や形状がよく分かります。
「後三年の役」で源義家に従い軍功をあげた山本上総介家隆によって築かれ、28代440年にわたり山本氏の居城となりますが1533年に山本資宗の時に大田原城主・大田原資清によって攻められ落城し山本氏は滅亡、土塁や空堀の遺構が残っています。
無
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市指定記念物 | 昭和48年5月3日 |
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城郭 | 南北約220m、東西約150mの楕円形で、東面は箒川に沿って斜面があり、南西側には深い天然堀、北面には土塁が高く築かれています。城跡の保存状態が良く、当時の城の規模や形状がよく分かります。 |
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後三年の役で源義家に従って軍功を挙げた山本上総介家隆が1089年に築いた城(那須塩原市文化財)です。1533年28代山本伊勢守資宗のとき大田原城主大田原備前守資清に攻略され落城しました。県道沿いに案内板が設置されております。城跡は整備されていて三の丸跡から登城しました。杉林で草が繁茂していて踏みこめませんでしたが二の丸跡との間に土塁が築かれております。虎口から二の丸跡へと向かうとコチラも草が繁茂して踏み込めませんでしたが三の丸跡より広い敷地であることが実感できました。本丸跡へは堀切と虎口を通り辿り着くとグルリと土塁で囲まれていて二の丸跡より更にユッタリとしております。本丸跡には二條稲荷神社と宇津野神社が祀られておりました。本丸跡の脇を眺めると深い自然の堀が城の側面を守っております。天然の要害だと感じられる城跡です。 (訪問:2024/04/28)
掲載:2024/06/15"ぐッ"ときた! 32人
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