那須町の遺跡・史跡
NASU FAN CLUB NASU FAN CLUBトップ
殺生石のクチコミ
みんなの声でわかる、スポットの特長
- 殺生石87
- 硫黄55
- 那須31
- 駐車場29
- 温泉神社27
- 匂い24
- 石20
- 九尾の狐18
- 香り18
- 場所17
-
離れて暮らす孫が九尾の狐が好きというので、せっかくならとこちらに連れていきました。晴れやかで気持ちの良い日、少し残っていた雪にも喜んでいるようでした。 (訪問:2025/01/02)
掲載:2025/02/17"ぐッ"ときた! 13人 -
殺生石の周りも紅葉見頃です。殺生石の正面って茶臼岳だったんですね。こんなにクッキリ見えたのは初めての体験。写真に収めようと温泉神社から急いで降りて行ったのに雲が掛かってしまい、いつまで経っても茶臼岳は見えずしまい。また来ようっと。でも、紅葉は満喫しました^_^ (訪問:2024/11/04)
掲載:2024/11/08"ぐッ"ときた! 33人 -
大変観光客が多かったです。硫黄の匂いがすごいんですね。殺生石には何十年ぶりに来ましたが、以前と変わらない筈の記憶がまた違った印象として視覚に焼き付きました。那須観光の殺生石の風景の記憶も歳を重ねる事に印象が変わって再び心に残りました。 (訪問:2024/05/25)
掲載:2024/05/27"ぐッ"ときた! 18人 -
雨上がりの殺生石。茶臼岳からの吹き下ろす風が冷たくて気持ちが良いです。やはり不思議なパワーを感じます。九尾狐のパワーでしょうか^_^ (訪問:2024/05/20)
掲載:2024/05/21"ぐッ"ときた! 45人 -
サイクリングで立ち寄りました。殺生石が割れてしまってからは初めていきました。殺生石までは遊歩道が整備されていてとても歩きやすく、湯の花採取場跡や盲蛇石などもあります。殺生石見応えありました。 (訪問:2024/05/18)
掲載:2024/05/20"ぐッ"ときた! 13人 -
八溝山周辺地域を巡るドライブスタンプラリーで訪れました。コノ時期で標高が高いので気温は低いですが雪もなく穏やかな日和です。賽の河原の石積みが前回来た時より少なくなっておりました。風雪で崩れたのかも知れません。硫黄の色味がかった石が随所に見られコノ場所に来た事を認識させてくれます。殺生石を割れた正面から捉えました。パッと見るとカバが口を開いたような感じです。それからジーっと眺めていると割れた石との間から毒気が吹き出しそうな感覚に陥り九尾の狐の伝説が頭によぎりました。 (訪問:2024/02/17)
掲載:2024/02/22"ぐッ"ときた! 29人 -
小雪の日に訪問しました。温泉神社からは下り坂が凍っていて、参道を引き返してから向かいました。寒々とした中で訪れる殺生石はいつもより神々しい感じ。割れちゃいましたね。悪い事が起こらない様にお祈りですね^_^ (訪問:2024/02/01)
掲載:2024/02/02"ぐッ"ときた! 43人 -
駐車場から降りた途端、かなり強い硫黄の匂い。去年、殺生石の石が割れたと話題になりましたね。九尾伝説で有名、芭蕉も訪れたという場所でここでしか見られない景色が広がっています。 (訪問:2023/09/26)
掲載:2023/09/28"ぐッ"ときた! 10人 -
小学校低学年の時に親に連れられてきて以来の見学です。当時はたーだ見ただけでまるっきり興味もなかったので実質初めての見学であります。盲蛇石とそれにまつわるお話を読みました。確かに鎌首をもたげたように見える石です。賽の河原では大石の上に小さな石積みが数多く見られました。親より先に亡くなった子供が罪を償うために仏塔を作ったと言われております。湯の花採取場跡があります。現在は使われておりませんが江戸時代に年貢米の代わりに湯の花を納めていたという地域の特性が感じられました。一際大きい教伝地蔵とその下に千体地蔵が祀られております。この地で母への親不孝を火炎熱湯の中で苦しみながら死ぬことにより反省した住職の教傳は親不孝の戒めとして地蔵となって人々を導いております。大きい教伝地蔵は昭和の代に造られたもので脇地蔵が左右を固めていて後方に享保年間に造られ修復された最初の教伝地蔵が残っております。千体地蔵は昭和の代に寄進されたもので芦野石で出来ております。有難みのある地蔵様達です。殺生石(国指定名勝、県文化財)は残念ながら割れておりましたが九尾の狐が化けた石の断面が見られて良かったです。また人の手で割ったのではなく自然に割れたことで九尾の狐の呪いは封印されているだろうと思いました。 (訪問:2023/09/16)
掲載:2023/09/21"ぐッ"ときた! 31人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。