那須塩原市の遺跡・史跡
横林の一里塚(一対)のクチコミ
みんなの声でわかる、スポットの特長
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- 文化財2
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サーフさんの口コミを拝読して訪れました。接骨木の一里塚(那須塩原市文化財)と同様にコチラの一里塚(那須塩原市文化財)にも駐車場が完備されております。ともに底辺約12m、高さ約3mの原型をとどめている整った形状で当時は塚上のテッペンに樹木があったんだろうなあと思いながら眺めました。アチコチの一里塚を見に行っておりますが一対ともに当時のままの保存状態が良い一里塚は中々お目にかかれないのでジックリと周囲を見回し目に焼き付けました。 (訪問:2024/03/24)
掲載:2024/03/28"ぐッ"ときた! 23人 -
会津中街道の一里塚です。これは会津街道だけあって、脇道の接骨木の一里塚よりひと回り大きいです。江戸〜会津間で人や物の往来が多かった様です。江戸からほぼ50里(200㎞)なのですね。う〜ん。勉強になります^_^ (訪問:2020/05/09)
掲載:2020/05/11"ぐッ"ときた! 26人 -
江戸時代に、会津地方から江戸へ米を運ぶのに使われた街道の一里塚だそうです。道路の両側に一つずつ、小高い塚が残っています。車2~3台分の駐車スペースがあるので、那須塩原方面のドライブの際には立ち寄って、この貴重な文化遺産を見学することをオススメします。 (訪問:2016/10/14)
掲載:2016/10/17"ぐッ"ときた! 1人 -
一里塚は、平安時代末期に、奥州藤原氏が旅人の目印として白川の関から陸奥湾までの道のりに1里(約4km)ごとに里程標を立てたのが起源といわれていて、江戸時代に江戸日本橋を起点に街道沿いに設置をして全国へと広がったそうです。。。街道の左右に一対あるのが本来の姿だそうですが、道路拡幅や宅地化などによりその大半が失われてしまっていて、現存していても片側のみが残っているものが大半です。。。那須塩原市地内の国道4号線(西富山付近)と県道30号線(主要地方道 矢板那須線横断道路)(折戸付近)を結ぶ県道259号線(折戸西那須野線)は、会津若松から氏家を結ぶ『会津中街道』の一部だったという説があり、ここに残る一里塚は、昔からの左右に一対の一里塚が現存しています(^o^)v。。。塚の廻りは綺麗に整備されていて、歩道や駐車場・説明文の看板も有るので、こちら方面へ起こしの際は、休憩がてら是非とも足を延ばしてみてください。一見の価値は有りますよ(*^^*)。。。なお、この県道259号線沿いの国道4号線方面に一里いった場所にも、もうひとつ一対の塚が残る【接骨木(にわとこ)の一里塚】も有りますよ(^^)d。。。 (訪問:2013/03)
掲載:2013/07"ぐッ"ときた! 7人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。