那須塩原市の遺跡・史跡
市の指定文化財。
横林の一里塚は東西に2つがほぼ原形で残っています。地域の農村景観を形づくる貴重な文化遺産であり、江戸時代の歴史を物語っています。東側の塚の上には三角点があります。平成18年、田園空間博物館の一環として周辺が整備されました。
有
おすすめ
◇会津中街道は、1965年に自然災害で通れなくなった会津西街道にかわる道として作られ、全長128km。会津藩の廻米輸送等にも使われた道で、横林宿には物資の中継ぎを行う問屋が置かれていました。 | |
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◇江戸時代、一里(約4km)ごとに街道の両側に築かれた一里塚は、その上にエノキやマツが植えられ、旅人の目安であり、休息の場でもあったようです。 | |
◇塚の周りは歩道がありきれいに整備されています。また、こちらから一里離れた場所には昔ながらの風情が残る”とちぎのふるさと田園風情百選”の認定地「接骨木(にわとこ)の一里塚」があります。 |
新着クチコミ
クチコミ:4件
みんなの声でわかる、スポットの特長
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サーフさんの口コミを拝読して訪れました。接骨木の一里塚(那須塩原市文化財)と同様にコチラの一里塚(那須塩原市文化財)にも駐車場が完備されております。ともに底辺約12m、高さ約3mの原型をとどめている整った形状で当時は塚上のテッペンに樹木があったんだろうなあと思いながら眺めました。アチコチの一里塚を見に行っておりますが一対ともに当時のままの保存状態が良い一里塚は中々お目にかかれないのでジックリと周囲を見回し目に焼き付けました。 (訪問:2024/03/24)
掲載:2024/03/28"ぐッ"ときた! 23人 -
会津中街道の一里塚です。これは会津街道だけあって、脇道の接骨木の一里塚よりひと回り大きいです。江戸〜会津間で人や物の往来が多かった様です。江戸からほぼ50里(200㎞)なのですね。う〜ん。勉強になります^_^ (訪問:2020/05/09)
掲載:2020/05/11"ぐッ"ときた! 26人 -
江戸時代に、会津地方から江戸へ米を運ぶのに使われた街道の一里塚だそうです。道路の両側に一つずつ、小高い塚が残っています。車2~3台分の駐車スペースがあるので、那須塩原方面のドライブの際には立ち寄って、この貴重な文化遺産を見学することをオススメします。 (訪問:2016/10/14)
掲載:2016/10/17"ぐッ"ときた! 1人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。