下野市の遺跡・史跡・歴史・資料館
下野国分寺跡のクチコミ
みんなの声でわかる、スポットの特長
- 建物6
- 敷地4
- ピンク4
- 人4
- 広い3
- 赤3
- 満開3
- 白3
- 八重桜3
- 復元2
-
家の近くの八重桜が散り始めていたので、仕事帰りに遠かったのですが、八重桜を見に来ました。やはり、散り始めていましたが、なんとかセーフでした。八重桜は、ピンクだけかと思っていましたが、白もあり見られて、とても良かったです。また、つつじが、白、赤、ピンクとあり、色鮮やかで、とてもきれいでした。夕方6時半ごろだったので、人も少なく、自分としては、きれいな景色をこうして見られて、とても良かったです。 (訪問:2023/04/20)
掲載:2023/04/21"ぐッ"ときた! 16人 -
お花見の途中で、こちらにも足を伸ばしました。道路沿いには、赤や濃いピンク、白などの花が満開でした。写真では伝わりにくいのが残念ですが、野原一面にタンポポが咲いていて、まるで黄色い絨毯のよう♪とってもきれいでした!子どもたちは大喜びで、綿毛を飛ばしたりタンポポの指輪を作ったり。春を感じながらお散歩できる、素敵なスポットでした♪ (訪問:2023/04/06)
掲載:2023/04/14"ぐッ"ときた! 42人 -
すごく広い下野国分寺跡地には、うすずみざくらが植えてあり、今日は、桜がほぼ満開で、昼時であったので、人もまばらでゆっくりと、散策してして来ました。この国分寺跡には、敷石があり、それをたどって行くと、資料館で見た建物になるのかと思うと、この広い敷地もわかる気がしました。でも、この太くりっぱなうすずみざくらを、ほぼ満開で見ることができて、とてもうれしかったです。 (訪問:2022/03/26)
掲載:2022/03/28"ぐッ"ときた! 12人 -
標柱脇に1本のウスズミザクラが植栽されていて優雅に咲いておりました。ピンク、赤の花桃が花盛りで敷地の至る所で存在感を示しておりました。南北457m・東西413mもある広大な敷地に復元された伽藍を見学に本日は20名以上の人が集まっておりました。普段は散歩する人を見かけるぐらいですが国の史跡としても重要な場所であることを花に夢中で忘れておりました。隣接する風土記の丘資料館と併せての見学をおススメ致します。 (訪問:2021/03/20)
掲載:2021/03/25"ぐッ"ときた! 28人 -
広い敷地の中央の真ん中に道があります。一部建物の土台が復元されていました。建物想像図、建物構造、規模が各建物跡前に立て看板があるので当時の建物を想像することができます。 (訪問:2018/09/13)
掲載:2018/09/20"ぐッ"ときた! 3人 -
カコロンさん
- (野木町)
天平の丘公園に行った際行ってみました 以前から興味があったのでやっと来ることができたという感じです 広々したところですが昔は立派な寺院があったのだと思いをめぐらせました ほほに当たる風が少し寂しく感じました なんて感傷にしたちゃったりしました (訪問:2018/03/01)
掲載:2018/04/27"ぐッ"ときた! 4人 -
お花見の帰りに寄って見ました。広々としてきれいに整備されていてお散歩にも良い場所です。とても気持ちの良い場所のひとつになりました。 (訪問:2017/04/16)
掲載:2017/04/17"ぐッ"ときた! 0人 -
国分寺と国分尼寺の両方の跡を見てきました。跡のみで、何も建造物はありませんが、古代のロマンを感じました。次は、桜の咲く頃に行きたいです (訪問:2017/02/19)
掲載:2017/02/20"ぐッ"ときた! 1人 -
下野国分寺は8世紀中頃に建てられた寺院とのことで、南北約500mの長さで南大門・中門・金堂・講堂・・・などが並んでいたそうです。それぞれの跡地には建物の復元想像図が描かれた説明板があります。近くの“下野国分尼寺跡”と併せて、歴史ロマンにひたるのにぴったりの史跡です。 (訪問:2016/10/04)
掲載:2016/10/11"ぐッ"ときた! 1人 -
国分寺町の名前の由来になった所です。奈良時代に、聖武天皇の詔によって、建てられた寺院のひとつです。その当時は、七重塔があったと推測されています。今となっては、その当時のものは何もありませんが、今でも当時使われていたと思われる瓦が、あちこちに落ちています。当時の文化を身近に感じることが出来ます。 (訪問:2010/04)
掲載:2010/04"ぐッ"ときた! 10人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。