佐野市の城跡・城址
唐沢山城の最南端の出城で、川越・忍・館林の三城の抑えとなった城です
当地は佐野小太郎盛綱の客将として招かれた福地丹波守仲久が初めて居住。4代後の福地出羽守寧久が永禄3(1560)年、唐沢山城の南端の出城として構築。佐野氏の改易とともに廃城となり、それ以後は福地氏が名主として代々居住しました。
※私有地につき、敷地内への立ち…
おすすめ
◇椿田城周囲に残っている長方形状に巡る用水路が城の内堀だったと考えられます。内郭規模は東西約65m・南北約100m、堀幅約2m、深さ約1m。水堀は用水路として今もなお周辺住民の生活に活かされています。 | |
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◇1590年天徳寺宝衍(ほうえん・佐野房綱)は、秀吉より関東の詳細図の作成を命ぜられ加藤清正に提出、その時の下野部分の絵図控えが、佐野椿田の福地家に伝えられています。(佐野市立郷土博物館保管) |
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- 椿田2
- 城跡2
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佐野市文化財の椿田城跡を見に行きました。佐野氏の唐沢山城の支城で福地氏の居城です。城跡には現在も子孫の方が住んでいます。民家敷地内に石碑、説明板が建てられています。屋敷の南側に椿田十一面観音福地堂が祀られています。西側に土塁、北側に水堀が残っていて当時の面影を感じることができました。 (訪問:2019/04/05)
掲載:2019/07/18"ぐッ"ときた! 9人
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