益子町の神社・仏閣
山あいにあり、地域の信仰を集めている天台宗の寺
天台宗の僧侶であり多くの寺院を建立したことで知られる慈覚大師円仁によって、嘉祥年間(848~851)に創建されたと伝えられています。境内には、益子町大郷戸廃寺跡より発見された五輪塔もあります。
有
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創建の由来と再興 | 嘉祥年間(848~851)に慈覚大師円仁によって創建と伝えられています。その後一度寂れたものの、天正8年(1590)に亮暁法印が再興し現在に至っています。数度の火災により資料焼失のため歴史詳細は不明。 |
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本堂 | 現在の本堂は昭和初期に建てられたものです。 |
【益子町指定文化財】五輪塔及び瓶子 |
昭和35年(1960)、益子町大郷戸廃寺跡の五輪塔群発見の折、五輪塔1基(鎌倉時代)及び骨蔵器である瓶子を寺内に移し供養しました。 ※現在、瓶子は益子町で保管 |
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みんなの声でわかる、スポットの特長
- 五輪塔3
- 墓地2
- 梅2
- 五郎2
- 親分2
- 子分2
- 碑2
- 良い2
- 輪2
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墓地の一番高い所に石碑があり侠客梅五郎碑と書かれております。幕末から明治にかけて氏家宿から芳賀郡一帯をなわばりにした田野一家があり親分が横田梅吉で梅五郎と呼ばれていました。剣術が優れた腕前だったそうです。子分が一時は数百名もいたそうで1893年に栃木の刑務所で亡くなりました。碑は三回忌に残された子分達によって建てられました。大親分の碑だけあり豪快さが感じられました。人一倍面倒見の良い人だったのだろうと思いました。五輪塔1基及び瓶子(益子町文化財)があり大郷戸廃寺跡の五輪塔群発見のおり供養したものです。五輪塔は墓地にあり風化は感じられますが地輪、水輪、火輪、風輪、空輪ともに欠けてもなく保存状態が良いです。ハスの花も咲いておりました。スッキリとした印象のお寺です。 (訪問:2023/07/15)
掲載:2024/09/27"ぐッ"ときた! 24人
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