茂木町の城跡・城址
自然の地形を利用して築いた典型的な山城である
那須資隆の子、千本十郎為隆が建久6年に築城したといわれています。別名を須藤城や教ヶ丘城と呼ばれていす。堅固な土塁と堀を残しているが、天正13年(1585)資俊のときに謀殺の悲話を残し、落城と言い伝えられています。
おすすめ
城郭は標高240mの山頂で、東西90m、南北370m、麓から階段状に屋敷割りし、二の丸と三の丸との間に高さ2mほどの土塁があります。 | |
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頂上の本丸入口の堀の石垣は住時のもので、付近に姫屋敷跡があります。 |
新着クチコミ
クチコミ:4件
みんなの声でわかる、スポットの特長
- 跡7
- 本丸4
- 土塁4
- 城4
- 車3
- 堀3
- 神社3
- 栃木県2
- 文化財2
- 千本2
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カワヅザクラが咲いていることをネットで見たので「ふみの森とちぎ」で千本城跡(栃木県文化財)のどの辺に咲いているのか伺い早速足を運びました。到着すると寄付された五味淵さんを讃えた碑がありサクラは見頃を迎えておりました。三の丸跡に19本植栽されております。2mの土塁を背に咲いている木も見受けられ城の迫力と桜の可憐さを同時に満喫できました。茂木町のカワヅザクラの名所です。 (訪問:2023/03/21)
掲載:2023/03/23"ぐッ"ときた! 27人 -
自然の地形を利用してつくられた城の遺構です。天守や石垣は残っていませんが、土塁や堀の形などから当時の城の様子を想像することができました。本丸跡には神社があります。周辺はサクラの名所にもなっているようなので、春になったら再度、訪れてみようと思っています。 (訪問:2022/01/25)
掲載:2022/02/02"ぐッ"ときた! 47人 -
車が、やっと1台通れるくらいの細い山道を入っていくと、畑のようなところがあり、景色が開けてきます。少し歩くと、右側にお堀の跡などがありました。その手前の階段を上がって行くと、鳥居があり、神社がありました。人気がないので、昼間の明るい時に行くのをオススメします。 (訪問:2021/11/28)
掲載:2021/11/30"ぐッ"ときた! 29人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
基本情報
住所 | 茂木町町田1712 地図を印刷 |
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ふみの森もてぎ | 0285-64-1023 0285-64-1023 |
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