日光市の遺跡・史跡
【市指定史跡】幕末北関東の著名な漢学者 大橋静庵の終焉の地を示す分骨墓
大橋静庵は、当時の今市町の旧家の人、慶応4年(1868)、流路の地当川治温泉にて78歳で没しましたが、その著書「静庵記」「隠居方言」「洞口無題集」等に、この地の歴史にかかわる記述を残しています。この墓碑は、のちに子孫によって建立されました。
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静庵の生い立ち | 天明8年(1788)今市宿大橋家当主の子として生まれる。20歳で鹿沼宿の鈴木石橋へ入門、主に儒学を学び弟子に漢学を教える。宿名主としても活躍し、今市宿の農民に開田を奨励したり養蚕を振興させました。 |
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静庵の最期と刻まれている時世の句の一遍 | 慶応4年(1868)戊辰戦争時に川治温泉に避難、そのまま没します。墓碑には戊辰戦争で大きな被害を受けた今市宿の人々への思い、家族から離れて死を迎える悲しみを今に伝えています。 |
墓所 | 実際に火葬による遺骨の一部が納骨されている墓所でもあります。本骨は今市の如来寺に葬られています。 |
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みんなの声でわかる、スポットの特長
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大橋静庵の墓碑(日光市文化財)でスタンプラリーめぐりの途中で偶然に目に入りました。著名な漢学者であった静庵は1868年に川治で亡くなり墓碑とはいえ遺骨の一部が納められているそうです。順風満帆の良い人生でしたね、川治はイイ所ですねと墓碑に向って話しかけました。静庵は男鹿川を望める高台で人が行き交う場所に眠られております。今市宿名主・問屋・朝鮮人参参作世話人なども務めた静庵は人と接することが好きだったと思われます。ご覧のように墓碑の前には駅と温泉の看板があり眺めた先には墓碑があるようになっております。きっと話好きだったでしょうから見かけたら墓碑に話しかけてみてください。 (訪問:2021/12/17)
掲載:2022/05/13"ぐッ"ときた! 24人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
基本情報
住所 | 日光市川治温泉川治 地図を印刷 |
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交通 | ※地図を参照ください。車の往来にはご注意ください。 |
日光市文化財課 | 0288-25-3200 0288-25-3200 |
駐車場 | 無 |