那須烏山市の遺跡・史跡
【市指定史跡】この地の豪族牧野左衛門勝重の居城跡と伝えられています
荒川右岸の河岸段丘上にあり、三方は急崖に囲まれた要害の館。西は二重の土塁と空堀を廻らしてあったが、現在はわずかに痕跡があるのみ。館跡には小さな社(浄下稲荷)があり、この地に居を構えた牧野左衛門勝重の子が父の仇を討ったことが伝承されています。
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「那須拾遺(しゅうい)記」によれば… | 鎌倉時代初期、那須森田(現・大里)の牧野左衛門勝重が殺され、息子たちは”放下僧”に扮し仇を探し出し仇討を果たす。時の烏山城主那須之隆は忠義を讃え、兄次郎丸に烏山に永楽百貫の地を与え牧野家を再興させた。 |
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「写本那須系図説」によれば… | 烏山城主那須資胤の子牧野顕高が刃傷沙汰で殺害され、顕高の子が放下僧に身をやつし、伊豆の国三島にて父の仇を討ったという。 |
放下僧(ほうかぞう) | 放下僧とは、禅僧の姿で踊りや雑芸をして物を乞い歩く者。 能に、この仇討ちを演じる『放下僧』という有名な演目があります。 |
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みんなの声でわかる、スポットの特長
- 荒川2
- 館2
- 跡2
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荒川の河川段丘上にある牧野氏の館跡(那須烏山市文化財)です。道路に→があるのでその通り進むとトウモロコシ畑の先にありました。土塁、空堀などの遺構は見られませんが館跡には浄下稲荷が祀られております。またコノ場所から下の荒川を眺めると10m以上の高さがあり正に天然の要害であります。南那須民話にも登場し牧野左衛門勝重が口論の末に利根大膳伸俊に殺され子供が放下僧に扮し父の仇を討つ話です。謡曲としては余りにも有名で携わる人々が全国から訪れているんではないかと思いました。 (訪問:2022/07/01)
掲載:2022/10/21"ぐッ"ときた! 29人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
基本情報
住所 | 那須烏山市大里 地図を印刷 |
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交通 | ※地図を参照ください 西側を走る市道脇に「放下僧館跡」の案内表示あり |
生涯学習課 | 0287-88-6223 0287-88-6223 |
駐車場 | 無 |
リンク |
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