塩谷町の道・街道・歴史・資料館
東武鉄道矢板線の廃線跡を見ることができ、当時の面影を感じられます。
1958年東武が矢板線を廃止。玉生から2.9kmの地点の芦場は日光鉱山の、その1.2km先の天頂は天頂鉱山の最寄駅で、鉱石や木材の積み出しで賑わった時代があった。芦場駅は当時の面影を残しているが、線路跡は舗装された生活道路に変わっている。
新着クチコミ
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ファミリーマート塩谷中央店さん方面から芦場駅跡に向かうルートも併せてご紹介します。コチラまで続いていた線路を転用した道です。宇都宮大学演習林に差し掛かる部分は車両通行止めなので歩きでしか通れません。ご注意を。途中新緑を愛でながら目的地に到着です。一段高くなったプラットフォームがそのまま残っているので一見の価値ありです。線路跡と一緒に楽しんでほしいです^_^ (訪問:2023/04/16)
掲載:2023/04/24"ぐッ"ときた! 24人 -
【クチコミ感謝シリーズ】塩谷町の中を24時間かけて歩く『しおや100キロウォーク』というイベントの中で、いつもここは真夜中に通ります。なのであまり景色をちゃんと見たことがなかったのですが、今回はたまたま昼間通って全容を見ることができました。ふと栃ナビ!の塩谷町のクチコミをザザッと見てみるとなんと!こちらがご紹介されているではありませんか…。まっすぐであまり車も来ず、すごく歩きやすい道だというただそれだけの認識だったのですが、歴史的な背景などを知ると感慨深いです。ご紹介、本当にありがたい…。他の方のクチコミを見ると車が通れる時間帯もあるのですね。花壇になっているようなので、春になったらきっと素敵な花々が咲くのでしょう。次に来る時は見られますように。(民家が近いため画像をかなり切り取っています。ご容赦下さい) (訪問:2023/01/22)
掲載:2023/01/24"ぐッ"ときた! 23人 -
芦場駅すぐ近く、日光北街道沿いに昭和30年代中ごろまで住んでいました。母方の祖母が駅裏で駄菓子屋を営んでましたね。親は日光鉱山に勤めていました。当時の鉱山の集会所で東映映画を良く観たことや、今思うと近くはないんだけれど社宅が火事になったのを見た時に怖くて泣きじゃくったのを覚えています。蒸気機関車に乗って地蔵坂トンネルを越えて玉生小学校に通っていました。その後いろいろな場所を転々として今は東京住まいです。半世紀以上経ってじっくり当時の想い出の場所を歩いてみたい気持ちになりました。 (訪問:2016/10/30)
掲載:2016/11/01"ぐッ"ときた! 5人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。