上三川町の城跡・城址
【町指定史跡】鎌倉時代中期、宇都宮城の南方の固めとして築城された城
宝治2年(1248)宇都宮城の南方の固めとして宇都宮5代城主頼綱四男・多功石見守宗朝により築城、慶長2年(1597)豊臣秀吉による領地没収までの約350年間続きました。現在は本丸跡の北から西側の土塁・堀の一部と東側土塁の一部を残しています。
おすすめ
城の規模 | 東西約400m、南北約300mで、西方約100mの所に西館がありました。 |
---|---|
文化2年(1805)の旧図面からの城の姿 | 南向きの複郭で、ほぼ方形、東北部に本丸、その南に大手門、西から南に二の丸・三の丸の郭類があったと記されています。なお、南側の遺構は残っていません。 |
多功氏 | 代々武勇に優れ、上杉謙信や北条氏政軍勢と戦ったことでも知られています。 |
※表示価格は更新時点の税込価格となっております。
[更新:2021年4月2日]
新着クチコミ
クチコミ:1件
みんなの声でわかる、スポットの特長
- 土塁5
- 堀3
- 多功2
- 城址2
- ゴルフ練習場2
- 遺構2
-
多功の多功城址(上三川町文化財)です。ゴルフ練習場の駐車場に立派な石碑が建っておりました。ゴルフ練習場の周囲を歩いてみると北側に土塁や堀の遺構が東から西へと巡っておりました。藪に覆われて入りずらいので一番入りやすい場所の土塁付近の近所の人にお願いしチョットだけ土塁に入らせて頂きました。深い堀と堅固な土塁が顔を出しており上に上ると中々の高さでありました。お話しを伺うと城跡周辺の家は家臣だったといわれているそうで多功城は上三川城より大規模な造りであったそうです。南から北へも一部土塁と堀などの遺構が残っていそうで夢が膨らむ城址です。 (訪問:2021/02/02)
掲載:2021/04/05"ぐッ"ときた! 23人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
基本情報
住所 | 上三川町多功1850付近 地図を印刷 |
---|---|
交通 | ※民有地ですので、立ち入りの際は必ず所有者にお声掛けいただき許可を戴いてください |
町生涯学習課 | 0285-56-9159 0285-56-9159 |