大田原市の神社・仏閣・遺跡・史跡
日本三古碑である【国宝】那須国造碑を祀っている神社です。
那須国造碑は、笠石神社の御神体です。この碑は700年に建てられ江戸時代に行われた日本初の発掘調査のきっかけにもなりました。碑文は152字で六朝風の書体で書かれており、宮城県の多賀城碑や群馬県の多胡碑と並び日本三古碑の一つに数えられています。
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【国宝】那須国造碑 | 宮城県の多賀城碑や群馬県の多胡碑と並び、日本三古碑の一つに数えられています。明治44年に国宝に指定され、戦後は法改正ののち再び昭和27年に国宝に指定されました。 |
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那須国造碑の由来 | 西暦700年、当時の那須国(郡)を治めていた那須直韋提(なすのあたいいで)の没後、その後継者とされる、意斯麻呂(おしまろ)等が韋提の遺徳を偲んで建碑したと碑文に記されています。 |
笠石神社の創建 | 那須国造碑は、江戸時代に発見され、大金重貞によって初めて記録に残されました。この碑を知った徳川光圀は、得がたい碑だとして佐々介三郎宗淳に調査と保護を命じ1691年に笠石神社が創建されました。 |
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母と歴史散策をしに「大田原市(旧湯津上村)」へ。まずは「笠石神社」さんへ立ち寄りました!湯津上村が「日本考古学発祥の地」として有名なのだと、初めて知りました。神社の方にお話をして頂き、写真撮影はNGだったので大丈夫な本殿だけ写しましたが「那須国造碑」も有難いことに見る事が叶いました。歴史に触れ私もちょっとは賢くなれたかな?と思います(*^^*)(笑) (訪問:2024/05/04)
掲載:2024/05/07"ぐッ"ときた! 38人 -
令和に建てられた日本考古学発祥の地の石碑が目立ちます。日本で最初に水戸光圀公が命じて古墳の発掘調査に乗り出したことを意味しております。文化財指定の遺跡が多い湯津上の中でも本殿に祀られている国宝 那須国造碑の碑文が後世の多くの人々に影響を及ぼした最たるものです。古代ロマンの風が感じられる碑です。 (訪問:2023/08/14)
掲載:2023/08/25"ぐッ"ときた! 29人 -
「日本考古学発祥の地」という記念碑が気になりお伺いしました!御朱印をお願いした際、宮司様とお話をさせて頂きました。こちらには[日本三古碑]の一つ【国宝・那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)】があり、古墳時代から歴史時代へ移る頃の国造碑で、碑には地方豪族から官人へと転身していく様子が書かれているそうです。建立から1000年後…草むらに埋もれていた碑が旅の僧に見つけられ、それが徳川光圀公まで伝わります。光圀公は碑堂の建立と調査も指示!古碑の解明の為、近くにあった下侍塚古墳の発掘にも乗り出したとのこと。これが「日本初の考古学的発掘調査」になったそうで「日本考古学発祥の地」の由来です。三古碑の他の2つと比べてもこちらの碑にはとても美しい文字が刻まれていることも拓本からわかりました。また碑は笠石神社のご神体であり、日本でも石のご神体は唯一とのこと。こちらの古碑は、全国からまた海外の研究者の方々も多く訪れるそうです。周辺の地図も拝見!那須地方は、全国でも有数の前期古墳の密集地ということも初めて知りました!宮司様には、いいお話と共に多数の資料も頂戴しました。ありがとうございました。この地域の歴史…興味がわいてきました!(^▽^)/ (訪問:2023/01/08)
掲載:2023/01/11"ぐッ"ときた! 38人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
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