鹿沼市の神社・仏閣
鹿沼城主壬生義雄公が眠る見晴らしのよいお寺
当寺は天正18年(1590)、秀吉公の小田原攻めの折39歳で陣没した鹿沼城主壬生義雄公の菩提寺です。はじめは光照寺と号しましたが義雄公の戒名から雄山寺と改まりました。鹿沼市街を見渡しながら心豊かに歴史に触れられ、ご参拝いただけます。
有
おすすめ
由緒 | 【開基】鹿沼城主 壬生義雄 【開山】天文7年(1538)天芝正遵による 【宗旨】曹洞宗 【本尊】釈迦牟尼仏 |
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鹿沼城主 壬生義雄(みぶよしたけ)公の墓所 | 鹿沼城最後の城主であった壬生義雄公の遺髪を納めたと伝えられる宝篋印塔、家臣の供養塔があります。 |
壬生家と当寺 | 壬生町の礎を築いた壬生家は天文元年(1532)に鹿沼城を築城、鹿沼をも勢力下とし、その当時よりゆかりの寺となりました。 |
新着クチコミ
みんなの声でわかる、スポットの特長
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本堂前の銅燈籠の色形がセンスが感じられサルスベリが明るい彩りを加えておりました。広い境内内にある鐘楼堂の銅鐘は人間国宝である香取正彦先生のお弟子さんである鴇田力さんが作者です。お釈迦様の一生が池の間4区間に大きく刻まれており見応えのある作品です。墓地に向うと標柱に鹿沼城城主であった壬生義雄公のお墓の場所まで200mと方向が示されておりました。義雄公のお墓は菩提寺である当寺と壬生氏の菩提寺である常楽寺(壬生町)とにあります。宝篋印塔のような形式ですが1866年に壬生家の家臣の子孫たちにより修復されたものだそうです。義雄公のお墓は中央地区の史跡、名所めぐりにもなっておりお寺の参拝方々来られる人も数多くいらっしゃると思われます。戦国時代の大名も草場の陰から現代の色んな人に会えるのを楽しみに待っているんではないかと思いました。 (訪問:2021/08/09)
掲載:2022/05/18"ぐッ"ときた! 25人
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