さくら市の遺跡・史跡
道路の起終点・経由点を表示する道路元標は地域の貴重な近代化資料です
道路元標は大正8年施行の旧道路法により市町村に一個設置され里程調査基準となり、交通・運輸・郵政等の発展・整備に貢献しました。明治22年(1889)熟田村が成立、昭和29年(1954)氏家町と北高根沢村へ分割編入で村廃止の歴史を見守りました。
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大正期に設置された道路元標 | 大正8年(1919)に道路行政の基本法「道路法(大正道路法)」が制定、道路網整備の為の基点として道路元標が全国各市町村に立てられ、元標と元標を結ぶように国道・府県道の整備が進みました。 |
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役目を終えた道路元標 | 昭和27年(1952)の現行道路法施行によって起終点としての役割も終えた道路元標は、急速に失われていきました。 |
熟田村道路元標 | 大正9年(1920)8月27日付「栃木県報」に掲載の熟田村道路元標設置点は塩谷郡熟田村狭間田地内役場前、設置路線は府県道烏山氏家線となっています。材質は花崗岩で、縦26cm×横26cm×高さ52cm。 |
新着クチコミ
みんなの声でわかる、スポットの特長
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市町村合併で廃村となり今は無くなってしまった熟田村(にいたむら)の道路元標です(*^^*)。。。その存在を知り近くまで行ったので観てきました(^o^)/。。。場所は県道225号線沿いの「JAしおのや さくら食材センター」敷地内に有ります(^o^)。。。この敷地は、旧熟田村役場の敷地だった様で役場跡のモニュメントも有りました(^o^)。。。道路元標は大正8年に制定された旧道路法に基づいて全国各地の市町村に一ヵ所づつ設置された基準点で、大正11年に内務省令で材質や形状、サイズ(W:25cm,D:25cm,H:63cm)が指定されました(^o^)。。。花崗岩製で正面に「熟田村道路元標」の文字がクッキリと残るとても保存状態が良いこの道路元標!一見して普通の道路元標の様ですが、幅奥行き共に少し大きいのです。しかも、裏面には本来は“栃木懸”や設置年等の文字が入るのが一般的なのですが、“寄贈田代久市”と人物名が掘られていました( ; ゜Д゜)。。。内務省令が出る以前の大正9年に建てられたようなので、このような形になっているのかも知れませんが、法律で定められた公共物を寄贈で作る?とは不思議な話ですね(*´ω`*)。。。パッと見には判らないけど、一風変わった『熟田村道路元標』!一見の価値あり!ですよ~( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆ (訪問:2023/03/23)
掲載:2023/09/03"ぐッ"ときた! 26人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。