熟田村役場跡 - さくら市の遺跡・史跡|栃ナビ!
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ニイタムラヤクバアト

熟田村役場跡

遺跡・史跡

明治から昭和にかけて塩谷郡に属していた村の役場跡です

当時の熟田村は平坦な地形で湧水にも恵まれた美田が広がる穀倉地帯で、ここに村役場が置かれていました。熟田郵便局、熟田小学校にその名が残り、仁井田(にいた)駅は、大正12年(1923)熟田駅として開業、2年後現駅名へ改称されています。

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村の成立と廃止 明治22年(1889)、狭間田・松山・松山新田・箱森新田・上野・柿木沢・柿木沢新田・鍛冶ヶ沢と現在の高根沢町に編入された伏久・文挟・飯室の計11村を合併し、熟田村が成立。昭和29年(1954)に廃止。
村の名の由来 奈良時代に作られた官道の一つ東山道が通じ「新田駅家」が設けられた歴史上有名な地であり、「にいた」の音を残し、実る田の村の意を込めて『熟田村』となりました。
熟田村役場 役場の位置は3度変わるが、明治41年(1908)にこの地に竣工、氏家町と合併する昭和29年まで置かれました。昭和20年代(1945)の役場の写真は、さくら市デジタルミュージアムで見ることができます。

※表示価格は更新時点の税込価格となっております。
[更新:2023年9月21日]

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みんなの声でわかる、スポットの特長

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    92

    平成に国の後押しもあり全国的に行われた市町村合併は記憶に新しいところですが、それ以前にも市町村合併が行われたことは有りました(^o^)/。。。ここには市町村合併により既に消滅してしまいましたが、氏家の東側で高根沢町の北側付近に『熟田(にいた)』と言う村が有りました(*^^*)。。。1878年(明治11年)に施工の「郡区町村編成法」により、この周辺の13ヶ村は連合村を形成していましたが、1889年(明治22年)の町村制施行によって、連合村は【熟田村】となりましました。その後、1954年(昭和29年)に飯室・伏久・文挟の3区域が北高根沢村(後の高根沢町)へ、その他の区域は氏家町(後のさくら市)へと分割編入され「熟田村」と言う名前は消滅しました(>_<)。。。「熟田村」の役場は数回にわたり場所を変えていましたが、1908年(明治41年)にこの地に建設された役場の建物は、分割再編される時までここに有ったと聞きます(^o^)/。。。現在、熟田(にいた)と言う地名は残っていませんが、この直ぐ近くに『熟田小学校』、高根沢町には『熟田郵便局』等の施設名称として残っている他、烏山線の『仁井田駅(にいたえき)』は開業当時【熟田駅】の文字を使っていたそうです(*´∀`)♪。。。現在、ここには熟田村役場の建物は残っていませんが「町村合併記念碑」や「役場入口の門柱」「道路元標」等が歴史を記載した説明板と共に静かに佇んでいます(*´ω`*)。。。「熟田村」の歴史を語り継ぐ【熟田村(にいたむら)役場跡】!一見の価値がありますよ( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆ (訪問:2023/03/23)

    掲載:2023/09/30
    "ぐッ"ときた! 34

※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。

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