日光市の遺跡・史跡
六部の祟りを鎮めるため建てられた供養塔
高徳の半左衛門により殺められたとされる六部(巡礼者)を供養するための石塔です。六部亡き後高徳村には疫病が蔓延、祟りだと恐れられ建てられました。供養塔の題目を刻む石工に次々と災いが起こり「南無妙法蓮華」の6文字のみが刻まれたといわれています。
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伝説 | 船賃未払いの巡礼者一行の殺害後、高徳村に疫病が蔓延し祟りを鎮めるため供養塔建てますが、文字を刻むたび石工が急死し最終的に「南無妙法蓮華」の6文字だけとなり「六題目の碑」と呼ばれるようになりました。 |
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殺された六部の為に建てられた碑で高徳に民話として残っております。昔ある時のこと船頭の高徳半左衛門が船賃を払わず無理にここを通った十三人の六部を斬り殺しました。半左衛門はやがて罪行の深さに恐れ切腹し後を追うように妻も病死しました。その子の二代目半左衛門は日蓮宗に帰依し六部の霊を熱心に慰めたかいがあり平和な暮らしができました。そして六部の供養塔を作る為に題目を正面に刻むべく石工に依頼したところ最初の南を刻み終わった時に突然病を発し亡くなりました。二人目の石工は無を彫り終わるや同様に亡くなり三人目は妙、四人目は法をというように六字を刻むまでに何れも奇妙な死に方で石工達は息絶えました。あと一字ですが諸国の石工達は気味悪がり完成には及ばず半左衛門も健康に恵まれず寂しく世を去ったというお話です。一人で十三人も殺せるなど考えられませんが碑があるのは事実です。碑は地区の人が清掃しているようで箒が木に立てかけられておりました。また花、飲み物、果物などの新しい物が手向けられておりました。碑の正面の文字を見つめると南無妙法蓮華経の最後の経の文字が刻まれておらずお話の通りで身体がヒヤッとし慌てて手を合せました。そして六部の呪いを鎮めるために地区の人達は長年供養しているのだろうと思いました。 (訪問:2023/11/04)
掲載:2024/01/27"ぐッ"ときた! 31人
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基本情報
住所 | 日光市高徳 地図を印刷 |
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交通 | ※地図を参照ください |
日光市観光協会 | 0288-22-1525 0288-22-1525 |
駐車場 | 近くにスペース有 |