那珂川町の城跡・城址
保存状態は極めてよく東国武士の拠点としての面影をしのぶことができます
平安時代末期に那須氏の祖、藤原資家(須藤権守貞信)により築かれ、以後須藤資清に至るまで4代にわたり那須氏(須藤氏)の居城として使われたという。那須氏が稲積城・高館城に移った後は廃城となったが、土塁や空堀などの遺構が良好な形で現存しています。
駐車スペース有
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那須神田城 | 那須氏の祖、須藤権守貞信が那須の守護を賜り、那須城を神田城と改めたことに始まるという。源平屋島の戦い、扇の的で名高い那須与一は嘉応元年(1169)那須資隆の十一男としてこの地で生まれたと伝わります。 |
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【国指定史跡】那須神田城跡 | 平地にあり典型的な単郭長方形の居館跡。南北162m・東西132m。郭内は東西66m・南北117m。土塁四隅には1m程の高まりがあり、正門・大手門も見られる。南と北側に堀跡あり。保存状態は極めてよい。 |
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みんなの声でわかる、スポットの特長
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現在は那須神田城趾公園として整備されている国指定史跡の城跡で那須氏の代々の居館となり那須与一もこの那須神田城で生まれたと伝えられております。周囲は竹藪などで囲まれていて分からずに何度も通り過ぎてしまいました。駐車場の側には築城した那須氏の祖である須藤貞信の絵が石碑に刻まれております。鳥居から城跡へと足を進めました。北と南に幅10mの水堀が残り上に上がると幅10m高さ5mの土塁が南北117m、東西66mの居館跡を囲んでおりました。保存状態が良く一目で視界に入るのも良いです。土塁上には神田穂喜与稲荷神社が祀られております。須藤貞信が神田明神に戦勝祈願を行い見事念願成就した事から神田城の鬼門鎮守として分霊を勧請したのが始まりと伝えられております。説明板を読みながら城跡を眺め当時の様子が目に浮かびました。 (訪問:2024/01/27)
掲載:2024/05/26"ぐッ"ときた! 26人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
基本情報
住所 | 那珂川町三輪 地図を印刷 |
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交通 | ※詳細は地図を参照ください ※私有地につき、所有者や近隣の方にご迷惑にならないよう見学ください |
生涯学習課 | 0287-96-3366 0287-96-3366 |
設備 | 駐車場 |
駐車場 | 駐車スペース有 |
リンク |
ホームページ |