栃木市の遺跡・史跡
縄文時代前期・中期の生活を知る上で大切な関東平野の最も奥に位置する貝塚
現渡良瀬遊水池に面した位置あり、縄文時代、水位上昇により現在の古河市まで東京湾が入り込み、満潮時には貝塚の前にまで海水が来ていたと考えられる。その最奥地にある貝塚として有名。今でも半分以上の貝塚が残り、地表に大量の貝を見ることができる。
おすすめ
◇元々は南北100m・東西70mに達する大きな馬蹄形の貝塚 | |
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◇淡水性貝のヤマトシジミが中心であるが、海洋性貝のカキ・サザエ等も見られる。 | |
◇縄文時代前期~中期の土器の他、シカやイノシシの骨も見つかっており、またそれを用いて作られたであろう針、ヤスなどの骨角器、さらには貝製の腕輪も見つかっている。 |
新着クチコミ
クチコミ:3件
みんなの声でわかる、スポットの特長
- 貝塚2
- 地2
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縄文時代前期の貝塚で、かなりの広範囲に分布していたことが図によってわかります。現地で現在の地域を眺めていると、ここまで海が入っていたんだなあと感慨深いです。出土品の多さから、当時多くの人がこの地に住んでいたということは生活しやすい土地だったんだなと感じます。 (訪問:2018/10/26)
掲載:2018/10/30"ぐッ"ときた! 4人 -
県道9号線に案内表示が見当たらないので、地図だけをたよりにして細い道を進み、やっと見つけることができました。“貝塚”といっても古墳のように盛り上がっているわけではなく、説明板が設置されている周辺一帯がその跡のようです。地面には無数の貝殻があり、この地が大昔には海岸だったのかと思うと不思議な感じがします。 (訪問:2018/04/07)
掲載:2018/04/09"ぐッ"ときた! 12人 -
カコロンさん
- (野木町)
縄文時代の貝塚です。なんと関東平野で牡蠣の貝殻が発見された一番奥にあるところです。つまり太古の昔ここまで海だったということだそうです。貝殻の捨て場とはいえ何十メートルもの大きなもので地面にびっしり貝がすててありました。 (訪問:2015/10/11)
掲載:2015/11/13"ぐッ"ときた! 1人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。