大田原市の古墳
【国指定史跡】上侍塚古墳・下侍塚古墳の2基の前方後方墳です
侍塚古墳は、上侍塚古墳と下侍塚古墳の2基からなり、徳川光圀の指示により日本初の学術調査が行われたことから「日本考古学発祥の地」と呼ばれます。下侍塚古墳は「日本で一番美しい古墳」とも言われ、周辺には侍塚古墳群もあります。写真は下侍塚古墳です。
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上侍塚古墳と下侍塚古墳 | 古墳時代前期の前方後方墳で葺石を持ち、墳長は上侍塚古墳が114m、下侍塚古墳は84m。その規模は上侍塚が那須地域最大、下侍塚は2番目の大きさです。 |
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「日本最初の発掘調査」「日本考古学発祥の地」 | 元禄5年(1692)徳川光圀の命で、現在笠石神社に祀られている那須国造碑(国宝)の碑主を求めて発掘したが、それを明らかにするものは発見されず、出土した遺物は絵師により記録に残され再び埋め戻されました。 |
今日の文化財保護の手本 | 光圀は墳丘の盛土が崩れるのを防ぐため松を植え、その姿を後世に伝えています。この保存対策の姿勢は今日の文化財保護の手本とされ、地元の保存会の活動にもつながっています。 |
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小学生の時、初めて訪れた「侍塚古墳」。私の古墳好きはこの古墳から始まったと思います。そんな思い入れがある古墳にこの歳になって、再訪するなんて。夢のようです!昔の記憶を思い出しながら母と歩いて「下侍塚古墳」、そして「上侍塚古墳」を見て回りました。 (訪問:2024/05/04)
掲載:2024/05/07"ぐッ"ときた! 40人 -
下侍塚古墳(国史跡)で上侍塚古墳(国史跡)と共に水戸光圀公の指示で日本最初の発掘調査が行われた古墳です。前方後方墳で墳長84mを誇ります。国道沿いなので通る度に目にしていた古墳ですが初めて墳丘に上りました。前方部からの眺めではクビレ部は見渡せますが後方部は松が邪魔して見渡せません。それならばと後方部から眺めて見ると3.7mも高さが違うので視界が良好です。光圀公が土が崩れないようにと植えた松は代替わりしているでしょうが確かに根を張って古墳の原型を保ち続けております。また松があるのとないのでは古墳の見映えも全然違います。光圀公は景観も考えて植えたのかも知れないと感じました。 (訪問:2023/11/25)
掲載:2023/11/30"ぐッ"ときた! 23人 -
前方後方墳の上侍塚北古墳で個人の畑の中にあります。墳丘長48.5mの古墳で前方部が削平されております。上に上がりたいけど勝手にはマズイなあと考え周囲を見回していたら畑に女の人が来たので伺うと所有者でした。「上に上がっても宜しいですか」と御尋ねると「どうぞ」とのお返事を頂きました。また「隣(国指定 上侍塚古墳)は見に来る人が多いけどウチのを見に来る人は珍しいですね。古墳が余程好きなんですね。」とお褒めの言葉を頂戴しました。前方部からの眺めと後方部からの眺めの写真です。後方部の方が随分と墳丘が高いので前方部を見下ろせ全体を見渡せました。特にくびれ部のメリハリがきいていて前方部の削平以外は中々良い古墳です。後で大田原市文化財係に電話してコノ古墳について伺うとマダ日取りは決まっていないそうですが調査をする予定とのことです。今まで不明だった埋葬施設が明らかになり文化財指定になるはずであろうと思いました。 (訪問:2023/10/28)
掲載:2023/10/31"ぐッ"ときた! 22人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
基本情報
住所 | 大田原市湯津上 地図を印刷 |
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交通 | ※地図は上侍塚古墳、下侍塚古墳は上侍塚古墳の北方約800mの所にあります |
お子さま | ファミリー |
駐車場 | 無 |
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