芳賀町の神社・仏閣
弘仁11年(820)に創建され明治時代に焼失。跡地には石塔群が残存
徳川家治(10代将軍)、田安宗武(8代将軍吉宗の子)の供養塔が家治の養女種姫(宗武の娘)により、建立されました。他に水輪、地輪、御本丸官女森野、戸崎の宝塔形供養塔2基、五輪塔形供養塔2基、関連史料として墓誌銘板が残されています。
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徳川家治(10代将軍)供養塔 | 総高424cm、方形土壌上に3段の台石、基礎上に蓮華座を据えた五輪塔 |
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田安宗武(8代将軍吉宗の子)供養塔 | 総高313cm、方形基壇上に三段の台石・基礎上に蓮華座を据えた宝塔 |
県指定有形文化財 | ◇般若寺跡石塔墓誌銘板(昭和55年2月8日指定) ◇供養塔(昭和55年1月10日指定) |
新着クチコミ
クチコミ:1件
みんなの声でわかる、スポットの特長
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栃木県文化財の供養塔を見に行きました。参道跡を進むと左手に8代将軍吉宗の子の田安宗武の供養塔があり総高313cmの宝塔で保存状態が良いです。さらに進むと御本丸官女森野、戸崎の宝塔形供養塔2基を従えた10代将軍徳川家治の風格のある総高424cm供養塔がそびえ立っています。スリムな五輪塔のバランスが良く空輪、風輪、水輪の円形のカーブが整っているのに目を惹かれました。脇を見ると侍臣のものとみられる五輪塔形供養塔2基が立っています。将軍の引き立て役として十分な働きをしていました。 (訪問:2020/01/10)
掲載:2020/07/02"ぐッ"ときた! 17人
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基本情報
住所 | 芳賀町芳志戸 地図を印刷 |
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生涯学習課 | 028-677-0009 028-677-0009 |
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