小井戸の切り通し - 茂木町の道・街道|栃ナビ!
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コイドノキリトオシ

小井戸の切り通し

道・街道

茂木藩家老 中村勧農衛が直々に指導して開削した切り通し

茂木藩の家老 中村勧農衛が直々に指導して開削した切り通しで、かつては折山を迂回して山越えする難路でした。村民も動員、工事も難航しましたが、弘化3年(1846)に貫通。切り通しにより交通は容易となり村民への恩恵は計り知れないものがありました。

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切り通しの現在 茂木町小井戸の字小萩の東側に沿って南北に開削された狭い道でしたが、現在は県道那須黒羽茂木線として、茂木町中心部と町北部の河井や那珂川沿岸地を結ぶ主要路となっています。
切り通しの開削まで かつてはこの東側200m、折山を迂回して山越えをする難路でしたが、茂木藩家老 中村勧農衛の啓発で弘化3年(1846)小井戸の切り通しを手掛け、14回も廻村し指導、完成させました。
中村勧農衛とは 江戸時代後半の茂木領は、長年の冷害による飢饉で荒廃していました。そこで家老 中村勧農衛は二宮尊徳に教えを請い、尊徳仕法を茂木領で実践し、茂木領を復興し藩の財政を建て直しました。墓は能持院にあります。

※表示価格は更新時点の税込価格となっております。
[更新:2023年8月8日]

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みんなの声でわかる、スポットの特長

  • 指導2
  • 1846年2
  • maffinman

    maffinmanさん

    総合レベル
    201

    折山を迂回して山越えする難路を回避するために二宮尊徳の指導を受けた茂木藩家老の中村勧農衛が直々に指導して開削した切通しで1846年の完成です。農民達が主要道路が難所の峠に困っていたため開通した時は飛び上がって喜んでいる様子が目に浮かびました。切り通しの中間には1846年刻猿田彦塔があります。道案内の神様なのでここに作られたんでしょう。現役の県道なので当時に比べ拡幅やC吹付けなどで大改修されておりますが当時の遺構が感じられる場所です。 (訪問:2023/05/20)

    掲載:2023/08/21
    "ぐッ"ときた! 28

※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。

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基本情報

住所 茂木町小井戸 地図を印刷
交通 県道27号那須黒羽茂木線、詳しくは地図を参照ください
駐車場

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