日光市の遺跡・史跡・道・街道
南山通り(会津西街道)を挟んで2基残存する一里塚
【市指定文化財(史跡)】“南山通り”は“会津西街道”の別称で、この一里塚は街道を挟んで左右に2基残存する貴重な史跡です。一里塚付近の旧街道は江戸時代の在りし日の街道の面影を留めています。
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一里塚 | 街道を挟んで左右に2基残存します。尾頭峠に向かって右側の塚は、崩れ等により直径・高さ共に左側の塚より小さくなっています。 |
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南山通り(会津西街道) | 「南山通り」は会津西街道の別称。江戸時代には会津藩・新発田藩・村上藩・庄内藩・米沢藩などの参勤交代や江戸と会津以北を結ぶ物流の道として重要な街道でした。 |
会津西街道の脇道 尾頭道(一里塚から300m南で分岐) | 尾頭道は、天和3年(1683)の日光地震による五十里湖の出現で、会津西街道の一部が交通不能になった時、一時的に塩原経由氏家阿久津河岸に至る会津廻米道として重要な役割を果たしました。 |
新着クチコミ
クチコミ:2件
みんなの声でわかる、スポットの特長
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一里塚(日光市文化財)は上三依水生植物園の北の道路の両端にヒッソリとあります。男鹿川の断崖の上にある方は少し崩れかけているようで小さく山側にある方は状態が良く残っております。1667年頃に会津藩によって築かれた一里塚は塚上に植えられていたエノキは既にありませんが前後の景観も江戸時代そのままの雰囲気を残していて貴重な物だと感じました。 (訪問:2023/10/29)
掲載:2023/10/31"ぐッ"ときた! 24人 -
南山通りとは会津西街道の別称です。現在は旧道となってヒッソリとしておりますが当時の往来は盛んだったと思われます。山際に傾斜している一里塚(日光市文化財)は造られた当時と同じ大きさを維持しております。写真を撮るのを忘れましたが反対側に片方もあります。コチラは小さめで造られた当初とは形状が変わっているそうです。それでも2基残存する所は少ないので貴重な遺構だと思いました。 (訪問:2021/12/13)
掲載:2022/03/31"ぐッ"ときた! 19人
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基本情報
住所 | 日光市上三依 地図を印刷 |
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交通 | ※地図を参照ください |
日光市文化財課 | 0288-25-3200 0288-25-3200 |
駐車場 | 無 |