壬生町の遺跡・史跡・歴史・資料館
日光道壬生通りに残る、源義経の伴をし、この地で病に倒れた金売り吉次の墓
義経は平家を滅ぼした後、兄・頼朝と不仲になり奥州平泉へ逃れます。吉次は義経の伴をしこの地まで逃れましたが、病によりこの地で生涯を終えました。里人達により、吉次の墓と彼の守護仏・観音樣を祀ったお堂(約20m東に現存)が建てられたと伝わります。
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金売り吉次 | 鎌倉時代の初めに源義経に仕えた金売り(砂金などの売買を商売とした者)と伝わるが、「吉次」なる人物が実在したかどうかは現在もなお不明。 |
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松尾芭蕉に随行した曽良の日記には… | 「壬生ヨリ楡木へ二リミフヨリ半道ハカリ行テ吉次力塚右ノ方二十間ハカリ畠中ニ有」と記されています。 |
吉次の守護仏・観音樣を祀ったといわれるお堂 | 吉次の墓より約20m東に現存しています。 |
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“壬生町役場 稲葉出張所“の南 約300m(コンビニに隣接する田んぼの中)にあります。「金売り吉次」は鎌倉時代初期、源義経が奥州平泉へ逃れるのを手助けしたとされる人物です。しかし、特定の人物ではなく、義経に関係のある(砂金などを売買していた)商人たちではないかという説もあります。義経伝説に関する史跡は県内各地(特に那須町)にあり、壬生町にもこのような史跡が残っていることに歴史のロマンを感じます。 (訪問:2021/02/26)
掲載:2021/03/01"ぐッ"ときた! 31人 -
国道352号沿いの畑の中にポツンとお墓があります。近くに寄ると専用の道が整備されているので目の前で見ることができました。吉次は源義経のお供をして奥州平泉に逃げる際この地で病で亡くなり里人達によりお堂が建てられたと伝わっております。凝灰石の2つの石が重なりあった小さな石塔ですが眺めていると上の石が顔、下の石が胴体に見えてきました。大きく欠けている部分が口、スグ上の引っ込んでいる部分が鼻、左右の小さな穴が目と見えコチラをキョトンと見つめているようで何ともあどけない表情をしておりました。吉次は商人だったとされているので人との関わりがさぞ多かったことでしょう。それなので人恋しいと思いますのでコノ道を通った際は宜しければ寄ってみてください。 (訪問:2020/11/22)
掲載:2021/01/31"ぐッ"ときた! 29人
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基本情報
住所 | 壬生町上稲葉 地図を印刷 |
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交通 | セブンイレブン壬生上稲葉店さんの隣り |
歴史民俗資料館 | 0282-82-8544 0282-82-8544 |