益子町の遺跡・史跡
【県指定史跡】鎌倉初期から大正時代にわたる宇都宮家累代の墓
宇都宮氏第3代当主朝綱は尾羽山地蔵院を創建してまもなく初代宗円、2代宗綱の墓を築き、自らの墓も定めこの地を宇都宮家の菩提所とする旨を一族郎党に宣言したという。鎌倉初期から大正時代まで33代もの長きに亘る武将の墓域造営は全国にも類例は少ない。
有(尾羽の里交遊館)
おすすめ
墓所 | 墓域は東西約80m・南北約40mで、初代宗円より33代正綱まで五輪塔29基、石碑4基があり最大のものは塔高170㎝を超えます。 |
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墓域の管理守護 | 慶長2年(1597)宇都宮家が断絶後、宇都宮氏が水戸藩に移ってからも、その遺徳とこの地に定住した家臣団がこの霊域を守護し続けた関係で、現在でも「御廟」と言われ守り続けられています。 |
【ましこ世間遺産】歴史文化保存地区(上大羽地区) | ここ上大羽地区は中世鎌倉時代に宇都宮氏に係わる歴史遺産を中心に神社仏閣等をはじめ、文化遺産が多数残されています。 |
新着クチコミ
みんなの声でわかる、スポットの特長
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宇都宮家の墓所には、3回目です。10年くらい前には、今よりお墓の周りが、きれいに手入れがされていたと、記憶しています。そして、今もなお、この近くに住まわれている、宇都宮家の家臣の子孫の方々が、何百年と墓守をされていると思うと、ほんとすごいって思います。 (訪問:2024/09/05)
掲載:2024/09/06"ぐッ"ときた! 12人 -
rusty-130さん
- (宇都宮市)
雨巻山登山口から車で5分ほどの見どころスポットです。宇都宮城主累代の墓で三代目城主朝綱が墓所のお隣にある「地蔵院」へ隠棲した後にこちらに墓所を定めたといわれています。宇都宮家が断絶された後も大羽在住の家臣達は仕官せず墓を見守り続けたそうです。朝綱が創建した「綱神社」芽吹き屋根の「大倉神社」はいずれも国指定重要文化財となっており深い緑に囲まれてマイナスイオンもたつぷりです。墓所へお越しの際にはすぐお隣に位置していますので合わせて御覧になってみて下さい(*^-^*) (訪問:2021/02/23)
掲載:2021/02/26"ぐッ"ときた! 35人 -
栃木県文化財の墓所は広い通路の両側に整然と並んでおりました。初代宗円より33代正綱まで五輪塔29基、石碑4基があり保存状態は良く一族が一堂に会するのは全国でも珍しいということです。落ち着いた静かな場所なので誰に邪魔されることなく皆さん安心して眠っておられるんだろうなあと思いました。 (訪問:2020/11/28)
掲載:2021/02/07"ぐッ"ときた! 29人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
基本情報
住所 | 益子町上大羽941 地図を印刷 |
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生涯学習課 | 0285-72-3101 0285-72-3101 |
設備 | 駐車場 |
駐車場 | 有(尾羽の里交遊館) |