茂木町の遺跡・史跡
【町指定有形文化財】芳賀氏22代高定の実子芳賀六郎の墓と伝わる五輪塔
表面の風化はありますが全体として損傷はなく、刻銘はありませんが、地方の五輪塔としては中世期(鎌倉時代~室町時代)の作として重厚なものです。真岡城を居城とした芳賀氏22代高定の実子で、小貫を所領としていた芳賀六郎信高の墓と伝わっています。
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【茂木町指定有形文化財(考古資料)】五輪塔 | 塔高:170cm、石質:花崗岩、年代:鎌倉時代 |
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歴史の中の“五輪塔” | 平安時代後期から、日本の石塔の主流として流行し、鎌倉時代には宗派を超えて広く用いられました。 |
芳賀六郎信髙の墓 | 当地(小貫)の領主芳賀六郎信高の墓と伝わります。 |
新着クチコミ
クチコミ:2件
みんなの声でわかる、スポットの特長
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芳賀六郎信高は芳賀高定の実子で、芳賀高定が芳賀高継に家督を譲った後(1566年頃)、高定と共にこの小貫の地に住み着いたようです。高定は1588年没とされていますから、信高はそのあと亡くなったと考えた方が良いと思います。芳賀高定は可成り徳の高い名将であったにも拘らず、隠棲したこの小貫の地に墓所がないのは不思議です。 (訪問:2023/03/18)
掲載:2023/03/23"ぐッ"ときた! 7人 -
小貫観音堂の裏にある五輪塔(茂木町文化財)です。小貫城を預かっていた芳賀信高の墓と伝えられております。笠間氏×宇都宮氏の小貫城の戦いで信高は1507年に笠間綱親に討たれたそうです。花崗岩製で高さ1.7mある五輪塔はバランスが取れていて保存状態が良いです。水輪から上の部位が丸みを帯びていて何とも柔らかな造りで好感が持てました。地元の人が木を伐採した御陰で日当たりが良くなり五輪塔の存在価値が高まったと思われます。草場の陰で信高もきっと喜んでいるだろうなあと感じました。 (訪問:2021/11/13)
掲載:2022/03/06"ぐッ"ときた! 27人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
基本情報
住所 | 茂木町小貫969 地図を印刷 |
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交通 | 小貫観音堂の裏手 |
ふみの森もてぎ | 0285-64-1023 0285-64-1023 |
設備 | 駐車場 |
駐車場 | 有 |