耕便門の碑 - 那須烏山市の遺跡・史跡|栃ナビ!
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那須烏山市の遺跡・史跡

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コウベンモンノヒ

耕便門の碑

0287-88-6223 0287-88-6223

遺跡・史跡

江戸時代後期、烏山城主大久保忠成が林泉右衛門らの水路掘削を讃えた碑

烏山城主大久保忠成の治世から殖産の一環として新田開発のため隧道掘削工事が進められ新たに水田が開かれました。碑は隧道掘削を讃えたもので隧道出口に建ち、碑文と書は当時諸侯三筆の一人であった大久保忠成のもの。※烏山かるたは現在販売はしていません

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概要 【市指定史跡】文政9年(1826)、地元郷士平山助之丞(林泉右衛門と改名)らにより、約1年3ヶ月の短期間で全長224間(約405m)の難工事が完成。工費は馬頭町近江屋重次郎が引き受けました。
隧道掘削の功 この水を利用し、当時27町歩余(現在約40町歩=約40ha)の美田が開かれ、数軒の水車屋も開業し、藩財政を少なからず潤し、その後も水車は地域産業の伸展を支えました。
碑文 「邨落(そんらく)嘗て巖石を頡鑿(けっさく)して開き、水脈を通じて耕耨(こうどう)の便成る…新たに数畝を開田す、是に於て其の所に名づけて爾(しか)云う」(読み下し・抜粋)

※表示価格は更新時点の税込価格となっております。
[更新:2023年5月19日]

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クチコミ:1
  • maffinman

    maffinmanさん

    総合レベル
    197

    烏山城主大久保忠成公が那珂川から水を引き水田開発に成功した記念碑(那須烏山市文化財)で烏山かるたにも選ばれております。耕便門から田へと水が流れるようになり烏山藩の財政も少し潤ったそうです。碑文と書は大久保忠成公が自ら書いたもので達筆であります。城主自らコノ事業に加わり成功したことが余程嬉しかったんだろうと思いました。 (訪問:2023/03/05)

    掲載:2023/06/01
    "ぐッ"ときた! 29

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