日光市の遺跡・史跡
旧宇都宮藩領の高徳・大原・藤原・高原新田村に多い月待ち塔を代表する塔
江戸時代中期頃から、十九夜・二十三夜等の月待ち信仰が女性たちによって盛んに行われました。この塔は各地で行われたそのような月待ち講のうち、旧高原新田村にあった十九夜講のもので、管理・保存のため村人の子孫により現在地に移転・安置されました。
有
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月待ち信仰と月待ち講と月待ち塔 | 月待ち信仰は特定の月例の月を鑑賞したり拝んだりする民間信仰です。月待ち講は月待ち信仰の仲間が集まりで、月待ち塔は月待ち講を記念して建てられた石塔で、十九夜塔もその一つです。 |
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十九夜講 | 元来の十九夜講は村の女性が月齢の夜に行う忌(いみ)ごもりで、参加する者は水垢離(みずごり)を浴びて神体を清め、飲食を共にして月を拝む行事でした。 |
【市指定民俗文化財】十九夜塔 | 初期造立の特徴が見られ、光背型(舟形)の中に如意輪観音を半肉彫りし、銘文が台石ではなく光背部分に「奉唱血池念佛供養 講中女人六十五人 享保九年甲辰五月日 下野国塩谷群高原村」と陰刻されています。 |
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みんなの声でわかる、スポットの特長
- 霊園4
- 造立3
- 供養2
- 観音2
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川治霊園の中にあります。霊園には左に如意輪観音菩薩(日光市文化財の十九夜塔 造立1724年)、右に地蔵菩薩(造立1730年)、奥に供養塔(造立1666年)と配置されております。旧高原新田村跡から霊園に移転安置したそうです。十九夜に女性達が拝んだ観音様は片肘を片足にあてて立膝で非常に深く考え事をしている様子でした。光背に銘文が陰刻されております。当時女人65人が月待ち講に参加していることが分かりました。現在では十九夜に拝まれることも少なくなった観音様ですがお地蔵様と供養塔の頼もしい仲間が加わったので寂しくはないと思われます。また霊園に来られる人々も拝まれると思うのでコチラが選ばれたんでしょうね。 (訪問:2023/03/04)
掲載:2023/06/14"ぐッ"ときた! 25人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
基本情報
住所 |
日光市藤原
日光市営川治霊園地内 地図を印刷 |
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交通 | ※地図を参照ください。 |
市・文化財課 | 0288-25-3200 0288-25-3200 |
駐車場 | 有 |
リンク |
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