日光市の遺跡・史跡
江戸時代後期の御堂建築の遺構であり地域の信仰の対象としても貴重な建造物
天明8年(1788)の「御廻国様御通行ニ付御案内帳」(宇都宮市旭町赤羽守治家文書)に「観音不動堂」と記載のある社と同じものとされ、江戸時代後期の御堂建築の遺構としても貴重であり、近世以降三依地区の人々の信仰の対象としても守られてきました。
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【市指定有形文化財(建造物)】観音堂 | 建造は江戸時代後期、三間四方向拝一間付き入母屋造り。柱・頭貫(ずぬき)・木鼻・台輪・闘供・丸桁・茅負・垂木・虹梁(こうりょう)・板壁・長押蟇股(なげしかえるまた)などが改変されずに良く残っています。 |
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当初の屋根と観音堂内部 | 当初の屋根は、茅葺きの方形造りで宝珠がついていたものと思われる。内部は、竿縁天井で畳敷き、来向壁には金箔が貼られ、厨子が安置されています。 |
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会津藩横川関所跡に観音堂(日光市文化財)は建っております。堂内に厨子が安置されているということで中を窺うと金箔が貼られていてソレ以上の奥は見えませんでした。1788年の文書により江戸時代中期に存在していた御堂は関所があった頃は別の場所にあり廃止になった際に移築されてきたと思われます。境内にただ一つ墓が建てられていてソレにまつわる1813年の夏の悲しいお話があります。横川村では関所の近くで盆踊りをすることになり関所の役人も許してくれ老若男女はお盆の日々を思い切り過ごすことができました。ところが盆踊りの人垣が関所の庭に立ち入ったことを会津藩の上役に聞かれてしまい関所の役人はこっぴどく叱られ切腹して責任を全うしました。村人達はいたく悲しみ皆でお金を出し合い役人のお墓を建てることになり会津藩も特別な計らいをもって村人の願いを許してくれましたというお話です。役人の俗名は清水伝左衛門知義といいます。お墓は行き届いていて草一本生えておりません。心の優しい役人として未だに語り継がれ大事にされていることが伝わりました。 (訪問:2023/10/29)
掲載:2023/10/31"ぐッ"ときた! 25人 -
江戸時代後期に建てられた観音堂(日光市文化財)で会津藩横川関所跡に建っております。控えめに見える建造物ですが向拝木鼻に象、欄間に唐獅子、本屋の蟇股や欄間にも植物や動物の彫刻が配されていて御堂を引き立てておりました。格子窓から中を窺うと手前に提灯が吊り下げられ奥の来向壁に金箔が施された前に如意輪観音様を目の当たりにすることが出来ました。解説板には厨子に安置されていると書かれておりましたが何度見返しても観音様で間違いないと思いました。これはイイことが起こりそうであります。拝顔できたことが嬉しかったので何度も拝礼して場を去りました。 (訪問:2021/12/13)
掲載:2022/03/31"ぐッ"ときた! 21人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
基本情報
住所 | 日光市横川 地図を印刷 |
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交通 | ※地図を参照ください |
日光市文化財課 | 0288-25-3200 0288-25-3200 |
駐車場 | 無 |