栃木市の遺跡・史跡
16世紀、大永の合戦時の戦死者を葬った塚
大永3(1523)年、皆川城主宗成らが川原田を中心に陣を張り宇都宮城主忠綱軍1,800余を迎え討ちます。両軍譲らず、翌日小山・結城・壬生の援軍を得て宇都宮勢を敗走させましたが、両軍310名の死者を出し、里人がここに葬ったと伝えられています。
無
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◇規模・形状 基壇の底面/21.6mの方形 中壇の底面/16.2mの方形 上壇の底面/10.8mの方形 墳頂までの高さ/3.6m |
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- 墳頂2
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1523年宇都宮氏と皆川氏の戦い川原田合戦での戦死者310人が埋葬されている塚です。升塚は、この地区の地名となっています。裾が直径20メートル以上の円墳と化していて、墳頂まで3.6メートルもあり階段で上れるようになっています。墳頂には石碑があり碑文に詳細な経緯が書かれています。 (訪問:2018/10/09)
掲載:2018/12/07"ぐッ"ときた! 5人
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