大田原市の遺跡・史跡
明治11年に設けられた測量基準線の南端点
「千本松の観象台」(那須塩原市指定文化財)を北端点とし、本市の南端点を結ぶ直線を「那須基線」と呼んでおり、2点間の距離は約10.628km。日本遺産の構成文化財の一つとして認定され、日本近代測量発祥の地に位置付けられる貴重な文化財です。
無
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寸法、重量、材質等 | 地上部 一辺 2.46m/総高 0.535m 基礎部 一辺 2.46m/深さ 0.92m |
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復元 | 市は平成11年、土地所有者から南端点の石室一式の寄付を受け国土地理院の協力で発掘調査、平成12年に復元。地上は大谷石3段積みの石室と芦野石の蓋、地下は大谷石4段積、最下部に基礎コンクリートが打設。 |
市指定史跡・日本遺産の構成文化財 | 平成30年、那須野が原開拓に係る日本遺産の構成文化財の一つとして認定、那須塩原市の北端点と共に、日本近代測量発祥の地に位置付けられる貴重な文化財。 |
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1878年に設けられた測量基準線で日本遺産構成文化財の一つです。こちらは那須基線南端点(大田原市文化財)で那須塩原市の那須基線北端点(那須塩原市文化財)とにまたがり遺跡が残存しております。2点間の距離は約10.628kmで北端点と南端点に至る直線は現在も10kmの真っ直ぐな道路として残っていて「たて道」とか「ライスライン」と呼ばれかつては開拓道路とされていました。約30万分の1の精度で測定され当時は2点に木のヤグラがあり天体観測の場になっていたことから観象台との名称があります。南端点は2000年1月に復元され地上と地下は大谷石、蓋は芦野石、最下部は鉄筋コンクリートが打設されております。6年程でお役御免となり長い間荒れ放題だった場所が整備され日の目を見て良かったと思いました。日本の近代測量を語る上で貴重な存在です。 (訪問:2023/10/01)
掲載:2023/12/28"ぐッ"ときた! 30人
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