矢板市の遺跡・史跡
【市指定文化財】那須資隆の九男九郎朝隆と稗田城の名残の地
稗田城は那須資隆の九男九郎朝隆が守り、那須氏の最前線に位置していました。城跡は現在消失しています。城より北方約300mの当地に残る五輪塔群は稗田朝隆とその一族の墓と思われ、昭和40年(1965)建立の石碑の裏面には由緒が記されています。
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稗田九郎朝隆 | 平安時代後期の武士で那須氏初代当主 那須資隆(なすすけたか)の九男、那須与一の兄。 |
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稗田城 | 文治3年(1187)稗田九郎朝隆により、この碑の南方約300m程の江川の左岸、寄居の地に築かれた水濠を廻らした平城で、那須氏最前線の守りを務めたと伝わります。現在は水田となりその跡はありません。 |
稗田九郎朝隆公碑 | 当地に残る五輪塔群は稗田朝隆とその一族の墓と思われ、「稗田九郎朝隆公碑」の裏面にはその由緒が記されています。 |
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田んぼの畔道を進むとポツンとありました。稗田城城主で那須与一の兄である稗田九郎朝隆の石碑(矢板市文化財)です。小丘が城を見立てた造りとなっております。この碑の南方300mに築かれた城は跡形もありませんが稗田氏とその一族の奮戦ぶりが思い浮かびました。 (訪問:2023/11/11)
掲載:2024/03/21"ぐッ"ときた! 21人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
基本情報
住所 | 矢板市豊田 地図を印刷 |
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交通 | ※地図を参照ください |
生涯学習課 | 0287-43-6218 0287-43-6218 |
駐車場 | 無 |
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